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北朝鮮 1カ月以内に核実験か!?(辺 真一)

国連安保理の制裁決議に北朝鮮はまるで待っていましたとばかり、強烈な内容の外務省声明を出して応酬した。

冷静に考えて、今回の制裁決議は内容的には中国の国連大使が言うように北朝鮮にとってさほど大きな打撃とはなってないはずだ。

今回の追加制裁(個人4人と6団体)を加えて、制裁対象はトータルで個人9人、団体17に増えたものの、その数はイラクとイランに比べれば、はるかに少ないことがわかる。

イラクの場合、個人は89人、団体・組織(貿易会社)は206で、個人の中にはフセイン大統領も含まれていた。

また核開発疑惑で北朝鮮同様に国連の制裁に直面しているイランも個人41人、団体75と、北朝鮮よりは断然多い。

イラクと違って、北朝鮮の場合、不思議なことに制裁対象からミサイル発射を総合指揮管制所で直接指示し、発射命令まで下した最高責任者の金正恩国防委員会第一委員長を含めミサイル発射に関わった軍・党幹部ら誰一人含まれていない。

北朝鮮に2006年に課せられた制裁決議「1718」には制裁対象として「北朝鮮の核関連、弾道ミサイル関連及びその他の大量破壊兵器関連の計画に関係のある北朝鮮の政策に責任を有していると指定される者」と規定されている。ならば、金正恩氏ほか、ミサイル開発の党の責任者である朴道春政治局員(軍需担当党書記)らは当然その対象となってしかるべきである。

今回、渡航禁止と在外資産凍結を科せられた4人(ミサイル関連の技術、研究者)はこれまでの制裁対象者(原子力関係者)らと同様に海外に資産もなければ、国外に出ることもない。米韓情報機関による拉致や亡命を恐れて北朝鮮が出さないのである。

さらに、制裁の対象になった貿易会社など組織、団体については看板や名義を変更するか、新しい会社を作るか、あるいはダミー会社を使えば、関連業務はいくらでも継続できる。

このようにみると、北朝鮮からすると、大した痛手ではないはずなのに、「米国の敵視政策がなんら変わることがないことが明白になった条件下で世界の非核化が実現されるまでは朝鮮半島の非核化は不可能になったとの最終結論に達した」とか、「6か国協議共同声明は死滅した」とか、「朝鮮半島の非核化を議論する対話はない」とまさに怒り心頭だ。

「衛星」の打ち上げを非合法化され、非難、制裁されたことが許せないのだろう。国連決議に従うことは、北朝鮮にとっては白旗を上げることに等しいと考えているなら、「力で対抗する」という発想も至極当然なのかもしれない。

注目すべきは、北朝鮮は声明の中で「米国の制裁圧迫策動に対処するため核抑止力を含む自衛的軍事著力を質量的に拡大強化する任意の物理的対応措置を取る」と宣言していた。これは核実験をやると宣言したに等しい。

というのも、一連のミサイル発射への安保理のペナルティーに反発して北朝鮮は過去に2度核実験を強行しているが、いずれも今回同様に即座に外務省声明を出している。

一度目の2006年の時には「米国の極端な敵対行為により最悪の情勢が到来している状況下であらゆる手段と方法をこうじて自衛的戦争抑止力を一層強化する」との声明(7月16日)を、また二度目の2009年の時は「敵対勢力の加重する軍事的脅威に対処し、任意の自衛的核抑止力を強化する」との声明(4月14日)を出している。そして、2006年の時は、外務省声明から82日目の10月9日に、2009年の時は41日目の5月25日に核実験のボタンを押している。4月29日の「核実験と大陸間弾道ミサイル発射実験を含む自衛的措置を講じる」との外務省談話からは1か月もしない間に行っている。

「衛星」の発射と違って、核実験に平和利用という言い訳は通じない。やるにはそれなりの口実、大義名分が必要だ。その口実こそが、国連の制裁決議である。北朝鮮が3度目の核実験の機会を虎視眈々と狙っていたならば、まさに国連の制裁決議採択は北朝鮮にとっては「待っていました」ということになるのだろう。

前例からすると、早ければ1か月以内にも核実験が行われる公算が高い。

一回目の2006年の時は北朝鮮外務省が核実験計画を発表(7月3日)してから6日後の9日に実施したが、2009年の時は直前の予告はなく5月25日に韓国で地震が起きたことで判明した。

北朝鮮が3度目の核実験を事前予告するのかどうかも、注目の的だ。

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