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習近平と李克強の権力闘争激化で混乱する中国(相馬 勝)

北京では相変わらず、タクシーがつかまりにくい。市内中心部を貫く幹線道路である長安路では出社や退社時、驚いたことにタクシー待ちの人々が道路の真ん中に出て手を上げて、必死になってタクシーを止めようとしていた。それでも、無情にもタクシーは止まらずに、過ぎ去っていく。

そのような命を危険にさらすような真似をしても、30分でタクシーが止まれば良い方で、2時間、3時間はざらだという。

それでは、地下鉄やバスなどの公共交通機関は不測の事態が予想されるほか、満員で立錐の余地のないということで敬遠されるそうだ。

これでは、さすがに外国からの観光客が来ないということで、最近、党の最高指導者に選ばれた習近平国家副主席らが交通問題に本腰を入れるという。

ことがタクシーの問題ならば、解決も簡単だろうが、ことが政治体制や経済政策だと、解決は難しいだろう。特に、これに権力闘争の要素が加わると、さらにこじれてきそうだ。

権力闘争と言えば、昨年11月の中国共産党の第18回党大会を終えて、しばらく政治的な動きが静かになってきたと思っていたが、年が明けてから、再び騒がしくなってきたようだ。

広東省の南方週末の社説書き換え事件で中国の言論統制に批判が強まりつつある。もともと中国では言論の自由はないのが常識だが、近年の自由化傾向が錯覚を強めているようだ。

この事件は、落ち着くところに落ち着いたが、最初は保守的な党宣伝部担当の劉雲山・政治局常務委員が新華社の副社長出身の省党宣伝部長を焚きつけたと思いきや、解決に至っては、同じく政治局常務委員でリベラル色の強い王岐山がやはりリベラル派の共青団閥の胡春華省党委書記に幕引きをさせたとの情報もある。つまり、指導部の二元化であり、路線闘争の臭いがする。そこに、習近平の臭いがしないのも変な話だ。

習近平は最近、「改革・開放路線は不変」と言いながらも、改革・開放時代以前の文革路線も評価すべきという〝新認識〟を明らかにしており、まさに文革時代に黄金の青春時代を送った世代らしく、アナクロニズム的な見解を露わにした。やはり、保守強硬派の地を早くも見せたかという印象だ。

そこで、問題なのが、胡春華の親分的存在で、次期首相の李克強・副首相と習近平の政治路線の違いだ。2人は今後10年間、中国を引っ張っていく最高指導者だけに、両者の意見が対立すれば、中国は大混乱に陥ってしまうからだが、すでにその兆候は現れている。

昨年11月の党大会では対立する陣営で激しい権力闘争を展開しただけに、今年3月の全国人民代表大会(全人代)における政府や国家人事をめぐって権力闘争が再燃しそうな雲行きだ。

習氏は昨年11月、総書記就任当日、「中華民族の隆盛」をキーワードにしたお披露目演説を行ったあと、翌日には胡錦濤主席ら旧軍幹部も参加しての党中央軍事委員会拡大会議を開き、実質的な新旧軍幹部の引き継ぎを行った。しかも、習氏はそのほぼ1週間後、党中央軍事委員会主席の肩書きで、第二砲兵部隊の魏鳳和・司令員の大将任命式を主宰した。

習氏は党総書記就任から2週間後の11月29日、北京の国家博物館で、「復興の道」と題する展覧会に出席。新たな党政治局常務委員6人を前にして演説。10分足らずと短いながら、習氏の最高指導者としての事実上の所信表明演説として「重要講話」と位置づけられた。

その内容の「中国夢(チャイナドリーム)」とは「中華民族が実現する偉大な民族の復興にある」との1点に集約されよう。習氏は「中華民族」との言葉を16回も連呼するなど、民族主義的な色合いを前面に出し、内政重視の姿勢を強く打ち出した。

さらに、南方週末の事件でも、党宣伝部は「外部勢力が関与している」との見解を明らかにしたのだが、「外部勢力」という表現をするところに、これまでも必ず党内部の権力闘争が絡んできた。一昔前の天安門事件はその典型的な例だ。

一方、李克強氏のデビューの場は11月21日、北京で開かれた経済関係の全国会議で、「経済改革の深化」をキーワードに「思想の解放」や「(既成)観念の転換」など政治改革にも踏み込み「改革は中国発展のための最大のボーナスだ」と強調して改革実行に強い意欲を見せた。

習氏と李氏では党総書記と首相という役割の違いはあるが、習氏の内向きの姿勢に対して、李氏は経済発展をテコに対外的に打って出るという外向きの立場であることは一目瞭然だ。

習近平は経済工作会議の前に、広東省を視察したのだが、この場で改革の重要性を強調することで、経済政策が専門の李克強に先んじようという意図が働いたとも読める。習近平は立場上、李克強に負けるわけにはいかないからだ。

これは習氏が副首相を務めた大幹部の息子として、親が県長風情の李克強など、歯牙にもかけないという素振りをしなければならないからだ。

その李氏は県長(日本の市長に相当)という地方幹部の息子として、出世するため勉学に励み、苦労して名門・北京大に入学。学生時代は民主化実現を唱える友人らと議論を重ね理想に燃えた時期もあったという。

英語の取得に熱心で国際情勢にも通じ、英国の法律書を中国語に翻訳するなど、その訳本はいまも北京大学の教材として使われているというほど流暢な英語の使い手だ。

対する習氏は「一緒に英国に居住しよう」と持ちかけた妻を振り切って、地方幹部の道を選んだ国内派。結局、妻は1人で英国に行き、2人は離婚している。習氏は最近の最高幹部には珍しいバツイチというわけだ。そういう意味では現代的でもある。習氏の二番目の妻がかの有名な「中国の歌姫」である彭麗媛である。

いずれにしても、習氏と李氏は水と油だといえよう。さらに、李氏のバックには胡主席がついていることもあって、習氏が改革主導の李氏に違和感を覚え、政策面で意見が食い違い、新たな権力闘争に火がつくのは時間の問題かも知れない。

【NLオリジナル】