「総選挙」と「愛国」と「12・8」(大貫康雄)
歴史に目を閉ざすものは未来についても盲目になる
総選挙の運動期間と重なり、また北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国のロケット打ち上げ問題もあったためか、今年の「12月8日」に関するマスコミ報道はなきに等しいものだった。12月8日は8月15日、9月2日と共に戦後日本を決定づける歴史が作られた日であるのだが。
ヨーロッパの新聞・テレビは歴史的出来事があった日には必ずと言って良いほど、過去の歴史を検証する報道をする。
例えばベルリンでは今年10月にもナチス・ドイツの手でホロコーストの犠牲になったロマ人(BBCは今でもジプシーと呼んでいたが)を祈念する施設が作られた。ロマ人の代表と共にメルケル首相らが参列し、改めて少数者の権利を擁護し、二度と悲劇を繰り返すまいと誓いを新たにした。これをドイツのみならず各国のメディアが報じている。
西ドイツのヴァイツゼッカー元大統領は世界に知られた戦後40年の演説で「歴史に目を閉ざすものは未来についても盲目になる」と語っている。むしろ今後の日本社会の方向を決める総選挙と重なったからこそ、「12月8日」の意味を逆にきちんと振り返るべきであろう。何故ならば「12月8日」は20世紀後半から今日に続く日本の方向を決定する転換点になったからだ。
より良き未来のために歴史健忘症にならないためにも、12月8日の歴史上の意味を改めて思い起こしたい。
12月8日の真珠湾攻撃
1)71年前1941年の12月8日未明(アメリカ時間では12月7日)は旧日本陸海軍がハワイ・オアフ島の米海軍真珠湾基地を攻撃した日で、アメリカ側は日本の「(卑劣な)奇襲攻撃(不意打ち)」と捉えた。
以来アメリカではこの日を当時のローズヴェルト大統領らが「Day of Infamy」(不名誉な日、とか汚名の日、などの意)と呼び、「日本人は常識外れで何をするか判らない信用できない面がある」と印象がアメリカ人の脳裏に埋め込まれている。
日米間の太平洋戦争間のアメリカ人の合言葉は「真珠湾を忘れるな!Remember Pearl Harbor!」でもあったのだ。
アメリカ西海岸に住む日系人までもが日本軍の攻撃とは何の関係もないのに危険視されて、事実上財産を没収され荒涼とした砂漠の真ん中に強制収容される事件もおきた(日系人の人たちは収容所の厳しい生活環境の中で廃材などを寄せ集めてブローチ、引き出し、彫刻などを作っていたのを戦後世代が発掘した。廃材を使ったとは想像できない芸術として人々の目を引き付け、その作品が東京で「我慢の芸術」展として公開された。ご覧になった人もいるだろう)。
今年の12月7日も現地、真珠湾では攻撃の犠牲者を追悼する祈念式典が開かれたし、首都ワシントンの隣のメリーランド州では半旗が掲げられた。このほか12月になるとアメリカ各地で関連行事が続く。
今「真珠湾攻撃」即「奇襲攻撃」を意味し、今年10月にはパネッタ国防長官がコンピュータ・ネットワークを通した奇襲「サイバー攻撃」の危険性を真珠湾攻撃になぞらえながら(cyber-Pearl Harbor)警告している(もっともアメリカが想定する今日の「サイバー攻撃」の主は日本ではなく、国家としては中国である、また過激派集団であるのは確かだ。東日本大震災が起きた昨年3月も、アメリカでは民間団体の提言を受けて下院共和党が幾つのアメリカ企業に対する中国が発信元のサイバー攻撃例を挙げて警告している)。
「真珠湾」に関しては個人的にも緊張した思い出がある。20年余り前のことだがサンディエゴで日米少年野球の交流試合があった。試合の最中アメリカ側の選手が失策をしたのを日本の少年たちが野次る(日本側少年のマナーが悪い)とその途端、アメリカの子どもたちが「Remember Pearl Harbor!」と互いに励ましあったのだ。これにはカメラマンも皆驚いた。
単なる少年野球の一場面だったが、真珠湾攻撃の歴史と意味が世代を超えて語り継がれているのを感じた日だった。
戦後、アメリカに支配されていた日本
2)真珠湾攻撃の後の経緯は多くの人が知るところだ。傲慢な日本指導部が始めた戦争はアメリカ軍に徹底的に打ちのめされて終わった。日本中の都市が空襲を受け、東京も横浜も焼け野原になった末に、45年8月15日、天皇のラジオ放送でポツダム宣言受諾(無条件降伏)を受け入れる。連合軍とはいうが事実上日本を占領支配したのはアメリカだった。以来、日本社会は政治、経済、文化面までアメリカの圧倒的な影響を受けてきたし、今も相当の影響を受け続けている。
敗戦後の戦争犯罪を裁く極東軍事裁判、新憲法制定、15年侵略戦争があったのに中国との平和、国交樹立は後回しにされる。中国もソ連も参加しないままサンフランシスコでの平和条約調印を経て国際社会に復帰。民主主義改革が中途半端のまま冷戦体制の下、西側陣営に組み込まれる。こうした過程は全てアメリカの了解で進められた。
戦後日本は骨格が殆どアメリカの意向のままに作られ、アメリカの後を追随してきた、と言って良い。
こうした戦後の過程の原点となったのが真珠湾攻撃で、以来の歴史の展開は切り離して考えられない。
「愛国」「国益」の本当の意味は?
3)今回の日本の総選挙に関して真珠湾(奇襲)攻撃と共にアメリカの知日派、アジア研究家たちの間で懸念されているのが、日本の右傾化だ。
今、盛んに「国を愛する」、「国益」などの言葉がそこかしこで聞こえるが、「愛国」とか「国益」は抽象的で、意味するところは人様々だ。愛国や国益は本来は右翼の専売特許ではないが徐々に大衆にこびる政治家の専売特許になった感がある。
そんな傾向を意識してか18世紀のイギリスの文学者サミュエル・ジョンソンは愛国心(Patriotism)を「ひきょう者の最後の隠れ家」(the last refuge of the scoundrel)と断じている。
「国益」という言葉は最初にニコロ・マキャベリが用いたと言われ、彼自身はその時その時の状況に応じた現実的な利益を意図していた。
いわゆる外交・安全保障の分野で「国益」を意識したのは17世紀、ドイツ諸邦の30年戦争に介入して漁夫の利を得たフランスだったと言われる。
アメリカの「国益」は自由と民主主義、人権、そして市場経済が保証される国際社会での指導的地位だ、と言われる。とにかく「国益」の意味するところは特定できず幅広いのを理解しておく必要がある。
右傾化する今回の総選挙
4)今の日本の右傾化が選挙で決定づけられるのか。またそうなった場合の日本の将来に及ぼす影響について、分析と検証を加えたマスコミは残念ながらない。ただただ候補者や政党要人の言葉を垂れ流すだけだ。
石原前都知事の尖閣列島購入発言以来、右傾化、国家主義的な傾向が強まっていることへの懸念が出されているのを日本のマスコミはこの点をきちんと報じていない。
日本の特徴として欧米で指摘されているのが、国益というと防衛力の強化と短絡的にいう人が多いこと。また防衛力(軍事力)の強化の主張が右翼・国家主義の色合いを伴う傾向が極めて強い、という点だ(戦後日本の根強い平和主義の影響、それへの反発を指摘する研究者もいる)。
今、懸念されるのは国家主義的政治家が勢い侵略戦争の美化や、慰安婦問題の否定などに走ってしまう傾向があることだ。そうなると日本人一般が頼りにする同盟国アメリカの議会でも超党派で拒否反応があるのを我々は承知しておくべきだ。
右翼政治家の代表、石原新太郎前東京都知事が、女性蔑視発言や人権を無視する発言を繰り返したとして欧米のマスコミで時折「rogue」(ならず者、悪漢、という意味)と呼ばれているのを知る人は多いだろう。
石原新太郎氏は今回の選挙でも「日本の統治機構を改革……」などと言っている。
都知事時代に彼がやったことを見ても、彼には一人でも多くの人々の生活向上に尽くす、という考えはない。国民を上から統治するという発想がある。世界各国で、彼が民主主義と人権擁護の理念を推進していると信じる人はいない。各国の不信感を呼び起こしているのが現実だ。
歴史を見直し、選挙に望んでほしい
5)また2007年当時の安部晋三総理大臣が従軍慰安婦問題で各国の不信感を招いたことを忘れてはならない。
安部総理大臣は日本軍の直接間接の関与を認めた河野官房長官談話を踏襲すると発言する一方で「強制ではなかった」と発言したと思えば、その後「広義の強制はあった」と二転三転するなどして世界の不審を招いた。
この当時の安部総理や後の麻生総理の発言などが韓国、中国のみならずアジアや欧米各国で反発を呼んだ事実が厳然としてある。
アメリカ、カナダ、EU、オーストラリア、フィリピン等々、多くの国の議会が日本政府に対し、犠牲者の女性たちに正式の謝罪を要求する決議を出したのを忘れてはならない。
従軍慰安婦問題は、韓国が嫌い、とか中国が厭だ、云々で片づけられる話ではない。証拠がない、などと言っても(敗戦直後、旧陸軍省をはじめ各官公庁で都合の悪い書類を焼却した事実は否定できない)被害者、犠牲となったと主張する女性たちがいるのだ。
証拠がない、とか信じない、と済ませられる問題ではない。そんなことを続ければ日本の信用は低下するばかりだ。まして世界は、個人の尊厳、人権擁護の考えが強まる方向に進んでいる時代だ。
問題をきちんと解決するためには、安易な言動や軽挙妄動を慎み、高齢となった犠牲者の声に真摯に耳を傾け問題と向き合うしか道はない。選挙後の政権には、国際社会の厳しい目が注がれていることを忘れてはなるまい。
今回の総選挙は脱原発の進め方、消費税率、貧富の格差、教育・子育て支援、TPP、一票の格差、議員定数等々、日本人の生活の基本に関わる争点が数多くある。
候補者や政党の主張、言い方を追う限り、こうした大事な問題が焦点を逸らされ、巧妙に判りにくくされ、果ては右傾化につきものの大言壮語で問題そのものが矮小化されてしまう恐れがある。
しかしであればこそ歴史や過去の経過を直視し、何が誤魔化されているか、肝心な点は何か、本質を見極めて選挙に臨む姿勢が問われている
【NLオリジナル】(12月11日13時一部修正)