華麗なるフィギュアの舞! 音楽がスポーツの魅力を高める(玉木 正之)
音楽(オペラやクラシック)とスポーツの濃密な関係
フィギュア・スケートの荒川静香がトリノ冬季オリンピックで金メダルを獲得したのは2006年2月のこと。それから早くも6年近い月日が経ったが、オペラ『トゥーランドット』のアリア『誰も寝てはならぬ』のメロディに乗せて演じられた美しいイナバウアーを、いまも瞼に焼き付けている人は数なくないだろう。
荒川静香だけでなく、かつて安藤美姫はモーツァルトの『レクイエム』やグリーグの『ピアノ協奏曲』を使いフィギュア・スケート・ファンを魅了したし、今シーズン、チャイコフスキーのバレエ音楽『白鳥の湖』を用いている浅田真央は、以前ハチャトゥリアンの『仮面舞踏会』やラフマニノフの『鐘』、さらにシュニトケのオペラ『愚者との生活』のなかの『タンゴ』などというチョイト面白い音楽を用いて、オリンピックや世界選手権などで大活躍をした。
それだけではない。フィギュアスケートの世界で歴代メダリストが使用した楽曲には『トスカ』『蝶々夫人』『椿姫』『カルメン』などオペラの名曲も多く、『ジゼル』『火の鳥』などのバレエ音楽も、よく用いられた。
バンクーバー冬季五輪で優勝したキム・ヨナが用いたガーシュインの『ピアノ協奏曲ヘ長調』をはじめ、『愛の夢』『幻想即興曲』『ツィゴイネルワイゼン』『月の光』『牧神の午後への前奏曲』など、リスト、ショパン、サラサーテ、ドビュッシーなどの名曲も数え切れないほど使われている。
こうしたスポーツと(クラシック)音楽の結びつきは、何もフィギュア・スケートに限らず、たとえば1990年のワールドカップ(W杯)サッカー・イタリア大会の決勝戦前夜には、パヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラスという「三大テナー」がローマのカラカラ浴場で喉を競い合い、オリンピック以上とも言われる規模の世界大会に、大きな花を添えた。
このときは、白血病を克服したカレーラスの復帰を祝い、チャリティとして行われたが、あまりにも評判が良かったため、「三大テナー・コンサート」は4年に一度のW杯サッカーの恒例行事となり、94年のアメリカ大会(ロサンゼルスのドジャー・スタジアム)、98年のフランス大会(パリ・エッフェル塔前広場)、02年の日韓大会(横浜アリーナ)でも行われた。
そもそもサッカーはサポーターの応援にもヴェルディのオペラ『アイーダ』の『凱旋行進曲』が使われるほど、オペラとの結びつきには「濃厚」なものがある。いまは亡き大テノール歌手のパヴァロッティは、高校時代にサッカー選手(ゴールキーパー)としてイタリアの全国大会に優勝したほどの経験があり、一時はトリノを本拠地とするセリエAのサッカーチーム「ユヴェントス」に入るのが夢だったという。
また彼は「三大テナー」のコンサートの他にも、エリック・クラプトン、エルトン・ジョン、ブライアン・アダムス、ライザ・ミネリ、シェリル・クロウ……といったロック、ポップス系の歌手をゲストに招き、「パヴァロッティ&フレンズ」という大規模な野外コンサートを何度も催したが、その最初のきっかけとなったのもスポーツ大会で、1998年にイタリアで開催された世界馬術選手権の開会式イベントだった。
しかも冒頭に書いた荒川静香が金メダルを獲得したトリノ冬季オリンピックでは、開会式でパヴァロッティが『誰も寝てはならぬ』を熱唱した。そのとき、その楽曲で荒川が演技することを知っていたフィギュア・スケートのファンは、パヴァロッティの歌声を聞きながら、何やら素晴らしいこと(金メダル!)の起こる予感に背筋をふるわせていたのだった。
そういえばトリノ冬季五輪の閉会式では、イタリアの「第二の国歌」とも言われるヴェルディのオペラ『ナブッコ』の大合唱曲『行け、我が思いよ、金色の翼に乗って』が高らかに歌いあげられ、さすがに「オペラの国のオリンピック」となると、音楽の使い方も違う……と感心したものだった(この楽曲は、コッポラ監督の映画『ゴッド・ファーザーPART3』でも、アル・パチーノ扮するドンが、シチリアの故郷に帰るところで、地元ブラスバンドの演奏として使われている)。
1964年インスブルック(オーストリア)の冬季五輪ではカール・ベーム指揮ウィーン・フィルの演奏が大会を盛りあげ、1998年長野五輪の開会式では小沢征爾の指揮が通信衛星で繋がれ、世界主要都市でベートーヴェンの『第九交響曲』が演奏された(それに、あまり知られてないが、創作オペラ『善光寺』などという作品も、後述するオリンピック芸術祭の一環として上演された)。
とはいえ、オペラ・ファンにとって忘れられないオリンピックは、何といっても1992年のバルセロナ・オリンピックだろう。プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラス、クレメンス・クラウス、モンセラート・カバリエ、テレサ・ベルガンサ……と、スペイン系の超一流歌手がスタジアムの特設ステージに顔を揃え、次々とオペラのアリアや重唱曲を披露したのは、圧巻としか言いようのない出来事だった(ただし入場行進後に、フィールドで立ったまま延々とオペラを聴かされた選手たちは、少々お疲れのようだったが……)。
スポーツと音楽(オペラ)の間に、これほど「濃密な関係」が存在するのは、ただスポーツ・イベントを盛りあげるのに音楽が効果的……というだけではない。
かつてオリンポスの山に棲む神々と共に暮らしていた古代ギリシアの人々は、ゼウスを初めとする神々のような美しく力強い身体に憧れ、自らも身体を鍛え、他者と競い、アポロンやポセイドンのような肉体に近づこうとした。そこからスポーツが生まれ、さらにオリンポスの神々の美しい姿を描いたり、その行いを詩歌で讃えたりするなかから、絵画や彫刻や音楽、すなわち芸術が生まれた。
したがってスポーツとアートは同じルーツから生まれた兄弟のような文化といえ、古代ギリシアのオリンポスの祭典(古代オリンピック)では、スポーツ競技のみならず、詩の朗読や竪琴、彫刻や絵画などの「芸術競技」も行われたのだった(竪琴競技ではローマ皇帝ネロが優勝した記録も残っている。ただし審査員もネロだったらしいが……)。
ここでちょっと横道に逸れる無駄話を差し挟みますが、神々の意向(神託・託宣)を聞こうとする行為、つまり神々がどんな「意見」を口にするか……と想像するところからギャンブルが生まれ、スポーツ(身体文化)と、芸術芸能(精神文化)と、賭博(ギャンブル文化)は、同じルーツから生じた兄弟分かと言えます。閑話休題(むだばなしはさておき)……。
近代オリンピックの創始者であるクーベルタン男爵は、そのような「身体活動」に「精神活動」も伴ったオリンピックを「人間活動」の理想と考え、「芸術競技」を正式競技として採用し、1912年の第5回ストックホルム大会から1948年の第14回ロンドン大会までは、絵画、彫刻、建築、都市設計、詩歌、劇作、文学、声楽作曲、オーケストラ作曲、音楽全般……といった芸術ジャンルもオリンピックの正式競技種目と認定し、金銀銅のメダルを与えた。
1952年の第15回ヘルシンキ大会以降は、芸術は競い合うものではない、という考え方から、芸術競技は正式競技からは外されたが、「身体活動」と「精神活動」の両立を五輪精神の基本とする考えは変わらず、オリンピック開催都市は今も「芸術週間」を設け、「芸術祭」を開催することがオリンピック憲章で義務づけられている。
そこで、たとえば2000年のシドニー五輪を例に取ると、高橋尚子選手が金メダルを獲得したマラソンコースの背後で、何度もテレビ画面に映し出された美しい貝殻の形をしたオペラハウスでは、連日のようにモーツァルトのオペラ『ドンジョヴァンニ』やリヒャルト・シュトラウスのオペラ『カプリッチョ』などが、オリンピック芸術祭として上演されていた。
ほかにも絵画展やコンサート、ファッション・ショーや映画祭なども行われ、『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『もののけ姫』などの日本のアニメも上映され、オリンピックの体操会場となった巨大な体育館の屋上で演奏されたマーラーの『千人の交響曲』で幕を開けたシドニー五輪の芸術週間は、近年最も充実したオリンピック芸術祭といわれたのだった。
もっとも、日本では「オリンピック芸術祭」などほとんど無視……というか、その存在を知っている人も少なく、オリンピックはスポーツ(身体活動)のみのイベントと思いこんでいる人が少なくない。
海外諸国でも事情は似たり寄ったりで、「オリンピック芸術祭」が(メディアの)話題になることはほとんどない。とはいえ、「スポーツ」という「文化」を最初に産み出したヨーロッパでは、「身体文化」と「精神文化」が「濃密な関係」にあることは、古代ギリシア以来の長い歴史を背景に、理屈抜きで身についているようだ。
「肉体+精神=人間」というわけで、そのためスポーツ・イベントが行われるとなると、常にアートのイベントもごく自然に歩調を合わせて、同時に開催されることになる。
いや、我が国でも、大相撲に相撲甚句や触れ太鼓が同居し、錦絵に描かれたことからもわかるように、身体文化と精神文化はもともと「濃密な関係」にあるものとして認識されていたはずだ。が、明治時代の文明開化でスポーツと西洋音楽が海を越えて伝播してきたとき、まったく不幸なことに、両者は完全に別種の異質な文化(体育系と文化系?)として認識されてしまった。
とはいえ、元々近しい両者には親和力がある。冒頭に書いたフィギュア・スケートにおける音楽と身体運動の見事な融合も、サッカーにおけるサポーターの大合唱も、別に驚く出来事でも何でもなく、当然のことなのだ。
とはいっても、私が大いに驚いた(というよりも、大喜びした)「オペラとスポーツの融合」もあった。それは1981年のニューヨーク・ヤンキース対ロサンゼルス・ドジャースのワールドシリーズ第1戦。
そのビッグイベントでアメリカ国歌を歌うため、なんとメトロポリタン・オペラに出演中の大バリトン歌手ロバート・メリルが登場したのだ。そして巨大なスタジアムの隅々まで、まるでマイクを通していないかのような生々しく美しく朗々と響く見事な歌声を披露したのだ。その歌声を内野の3階席で聴いて感激したことが、オペラや音楽とスポーツの関係を調べてみようと思った最初のきっかけだった。
今シーズンのフィギュア・スケートでは、高橋大輔がレオンカヴァッロ作曲のオペラ『道化師』を用いて華麗なステップを見せている(先日のNHK杯では、『ノートルダム・ド・パリ』の音楽を用いた羽生弓弦の後塵を拝したが……)。また、2011~12と世界選手権を2連覇し、来年のソチ冬季五輪での金メダル候補と言われているカナダのパトリック・チャンは、プッチーニ作曲のオペラ『ラ・ボエーム』を用いている。
今年のグランプリ・ファイナルが、どういう結果になるか……は、この原稿を書いている時点では、まだわからない。が、音楽の編曲の巧みさと聴かせどころの上手さでは、パトリック・チャン(の音楽)のほうが素晴らしい。ファイナル進出男子6選手のうち、日本人選手がなんと4選手を占めるという見事な成績だが、日本人フィギュア・スケーターたち(そしてコーチたち)も、音楽にもう少し細かい気配りが出来れば、さらに好成績が残せるはずだ……(高橋も、ニーノ・ロータ作曲・フェデリコ・フェリーニの映画『道』に使われた音楽のときは編曲も素晴らしく、世界選手権でも優勝できたのだ……)。
【二期会公演『トゥーランドット』パンフレット+NLオリジナル】