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原発は安全だと言い続けた責任は誰がとるのか?(ピオ・デミリア)

イタリアの地震学者に対する有罪判決について

数日前、ラクイラ地裁(イタリア)は、地震に対する予知をあやまり、大地震の危険は差し迫ったものではないという「安全宣言」を出し、住民を安心させ、被害をひろげたとして、地震学者や政府の関係者といった専門家らに、禁錮6年の実刑判決を下した。これは、検察側の禁錮4年という求刑を2年も上回るものである。(編集部注:2009年にラクイラ地方で大地震の前兆といえる小さな揺れが続いていたが、地震学者たちは、これが大地震につながる危険はないとしていた。しかし)その後、地震が実際に起こり、200人以上の死者を出す惨事となった。

この判決に対しては、イタリアの国内だけではなく、日本を含めた国外からも、批判が寄せられている。厳しすぎるという意見や、不公平であり、不適切な判決だとする意見などだ。科学者や批評家に対して、責任を追求しはじめると、誰もが自分の意見を言うのが怖くなり、何も口にしなくなる。予知や見解などを発表する勇気もなくなるというものだ。

一方、この判決を歓迎する向きも少なくない。事実とは異なることを承知のうえで、あえて事実とは異なる見解を述べる科学者や専門家ら(そこには、利害関係がからむことも少なくない)に対し、初めて責任を明確にした「歴史的」な裁判だというのがその理由だ。

私は、この裁判について研究を深める価値があると考える。3•11後の日本の司法においても、参考になるものが多く含まれていると思うのだ。地震や津波を十二分に予知できなかった科学者に対して、というよりも、60年代からこのかた、ずっと原発は安全であると主張しつづけ、地球上でもっとも「ナーバス」である日本列島に何十基もの原子炉を建てることを後押ししてきた科学者や政府関係者といった一連の「専門家」に対してである。

日本の裁判の司法の場において、そのような動きがあるか否か、私にはわからない。だが、早急に、そうしたことを試みるべきではないだろうか。既得権益にかじりつくために、あるいは単なる怠惰から、「原発は安全だ」、「放射能は健康に害を及ぼすものではない」と言い続け、最終的に甚大な被害を招いたのは誰なのか、科学者であろうが、役人であうが、企業家であろうが、正確に見極め、しかるべき刑を科すべきだと考える。

【NLオリジナル】