ノーボーダー・ニューズ/記事サムネイル

チェルノブイリ事故の専門家が語った放射能被害の現実(大貫 康雄)

10月20 日、ベラルーシの民間機関・ベルラド放射能安全研究所所長のアレクセイ・ネステレンコ氏が自由報道協会で記者会見し、チェルノブイリ事故対策21年に渡る経験を踏まえた放射能被曝対策を語った。

氏は内部被曝の危険性を重視し、効果的な対策として次の事を挙げている。

汚染度の低い遠隔の地に移住すること。それが困難で「汚染地域」に住み続けるしかない場合子どもだけでなく大人も毎年出来るだけ長期間休暇を取り、遠隔地で保養・休養すること。栄養があり汚染度の低い安全な食品を摂るが重要であることなど。日本にとって参考になり、いろいろ示唆に富む指摘をしている。

86年4月チェルノブイリ原発事故が発生した時、当時のソ連政府は強引な手法で事故原発をコンクリートの壁で閉じ込め10日間で収束を図った。(いわゆる石棺) 91年のソ連崩壊以降は、チェルノブイリ原発が領土内にあるウクライナに直接の処理義務が生じているが、事実上完全な処理は不可能に近い状況だ。

26年経って石棺に何箇所も亀裂が出来て放射能漏れが懸念され、このひび割れした石棺を全部覆う大規模建造物が計画、建設中だ。

原発だけでなくチェルノブイリの周囲一帯では放射能を閉じ込める対策が将来も何世代にも渡って続けられることになるだろう。

 

ベラルーシは国家予算の5分の1を被曝対策に投じた

 

1、チェルノブイリ原発から北に20kmも経ないでベラルーシの国境が延びている。ソ連及び西側諸国の科学者の報告では、この事故で旧ソ連領内に落ちた放射能汚染の60%以上がベラルーシ内に降下し、国土の4分の1が高濃度の放射能汚染地帯になったといわれる。

(ベラルーシ、ウクライナ。ロシア3カ国で農業用地、森林それぞれ70万ヘクタール以上が危険地域にされている。最近、細かく線量を測定して安全が確認されたとされる地域では放射能除去を進めながら少しずつ農業が再開されている。ウクライナ政府は居住禁止地帯に人間の居住が再び可能になるには2万年かかる、と推定している)

大勢の人が移住を余儀なくされ、子ども50万人を含め220万人が放射性降下物の影響を受けたといわれる。ベラルーシ政府の発表では、子どもの甲状腺中でも南東部ゴメリ州を主に全土でガンや白血病、脳障害、心臓障害、内臓疾患など国民の健康に様々な被害が起きている。

人口が1000万人に満たないベラルーシには、チェルノブイリ事故がいかに深刻な影響を及ぼしているか想像できよう。

各地の学校や市場などに食品・飲料水の放射汚染度測定機や体内被曝量計測装置(いわゆるホールボディカウンター)を設置するなど、ベラルーシ政府による放射能汚染地対策、被曝対策は決して豊かではない国が一時期国家予算の5分の1以上を投じたことなど、既に幾つものメディアで報道されている。

ネステレンコ氏が所長の「ベルラド放射能安全研究所」は1990年、西ヨーロッパ諸国からの支援で国から独立した民間の機関として、父ヴァシリー・ネステレンコ氏によって作られる。

父・ネステレンコ氏は、ベラルーシ科学アカデミー核エネルギー研究所所長として汚染地域各地に放射線被曝検査施設を作るなどの活動を続けたが、政治的圧力を受けて検査施設の閉鎖を余儀なくされたためだ。

被曝の人体への影響は、年を経るごとに明かになるが、ベラルーシでは、91年以降、予算上の理由で食品などの安全基準を改悪している。「国民の健康を守る政府の対策は悪化している」、氏はベラルーシの厳しい安全基準を参考にするのであれば91年前の基準を見てもらいたい、と言っている。

(事故による経済損失は2005年のドル換算で2350億ドルと推定されている。事故被災者対策にベラルーシ政府は91年には予算の22%、130億ドルを投じているが2002年には6%に減少している)

以来、ベルラド放射能安全研究所は政府の対策とは別に体内被曝量測定装置(いわゆるホールボディカウンター)8台と食品・水の放射線量測定装置を搭載したバスで全土を巡り、独自に各地域の住民の被曝量(特に内部被曝)の計測、食品や水質・土壌の放射性ヨウ素や放射性セシウムの汚染度調査、住民への放射能教育、放射能対策の研究などを進めている。

この研究所は活動開始以来これまでに子ども19万人の被曝測定、35万件の食品の放射能汚染度測定をしている。一定量以上の体内被曝が確認された子どもには、体内からの放射能除去に効果があるリンゴ・ペクチンを摂るよう指導してきた、という。

 放射線量が毎時0.05μシーヴェルトを超える地域に子どもは住まない方が良い

 

2、ネステレンコ氏は、こうしたベラルーシでの活動経験を踏まえて来日し、福島県の飯舘村、福島市、伊達市、それにいわき市を訪れている。

氏が現地を訪れた実感として、“大勢の人の避難対策には経費がかかるので人口が密集する都市部での線量は意図的に低く出されているのではないか?”、と疑念を表している。

氏が、福島市の北にある伊達市の小栗小学校を訪れた時、線量計が二つ設置され、一つが機能していないまま置かれている意味が判らなかった、という。

機能停止にされている線量計は、福島の学校に文部科学省が線量計を設置した際、低い線量でも計測できる機器を導入した企業との契約を、日本の仕様になっていないとして拒否し、低い線量が計測できない機器を導入した、との報道を説明すると驚いたが、納得もしたようだ。

先述したように、ベルラド研究所独自の健康対策は政府への不信感から始まったからだろう。

会見の質疑応答で、西ヨーロッパ諸国からの支援はヴォランティア、NGOから政府機関によるものも含め多岐にわたり、医療機関には多くの医療器具が提供されたことを挙げた。最も助けになったのは夏の間、西ヨーロッパ各地に汚染度の高い地域に住む子どもたちが招かれて滞在できたことを挙げている(子どもたちの多くが健康を回復するのが確認できたからだ)。

福島の地域の名を挙げなかったが、個人的な考えとして氏は、放射線量が毎時0.05μシーヴェルトを超える地域に子どもは住まない方が良いこと、汚染度が高い地域に住み続ける人たちには、大人も含め、出来るだけ夏休みを長くして高い放射線を浴びる量を少なくするとか、年に1~2回は遠くて安全な地域に保養に出かけること、子どもはより頻繁に保養に出した方が良い、と助言していた。

汚染度が高い地域に住む人には、政府が放射能濃度の特別に低い食品や水を提供することも被曝被害を少なくするのに効果があると述べている。

また外の線量が比較的低い地域に住む人たちにも内部被曝量の高い人(食べる食品や飲料水が汚染していると想定される)がいること、放射能は風や雨などで移動するので定期的に細かく計測して対策を講じること、を薦めている。

ネステレンコ氏は、栄養があって安全な食品や飲み水を子どもたちに与えるのは非常に有効な対策だと強調する。ベラルーシの学校給食は朝と昼の2回、学童保育の子どもたちには、さらにオヤツも提供される。特に重要ないわゆる汚染地に住む子どもたちへの安全な給食は一切無料で提供している。

(質疑応答の中で氏は、安全な地域に住む子どもたちを福島に連れて行き、モモを食べされる動きがあったことについて信じられない、と絶句している)

人々の被害を大きくしたのは情報隠しと初期対応の遅れ

 

3、チェルノブイリ事故は政府当局の情報隠し、初期対応の立ち遅れ適切な対応がなされなかったことが人々への被害を大きくしたことが指摘されている。何といっても情報公開と迅速な避難など初期対応が肝心なことがチェルノブイリの負の教訓として語られる。

事故から3日後、1100km離れたスウェーデンのフォスマルク原発の作業員の衣服に異常な放射性物質が付着しているのが発見され大騒ぎになった。

事故後36時間たって住民の避難開始1週間で30km以内の住民116000ほぼ全員が避難移住させられている(先述したように、こうした地域に人々が戻れるまでにウクライナ政府は2万年かかると推定している)。

半径350km以内のいわゆるホットスポット地域でも住民の避難、農業の無期限禁止などの措置が取られ、結果として移転を余儀なくさせられた住民は現在のウクライナ、ベラルーシ、ロシアで計数十万人に上っている。

(多くの人たちは既にかなりの放射能を浴びてしまっており、その後の健康被害が深刻になった。残念ながら福島原発事故の時も政府が同じ過ちを繰り返してしまった)

チェルノブイリ事故の真相、後の放射能災害、被曝の実態については早くも86年8月ウィーンでのIAEAの非公式会合で、ソ連科学アカデミー会員で事故調査委員会を率いたヴァレリー・レガソフ氏が、広島原爆による結果を元に4万人がガンで死亡するという推計を発表する。しかしIAEAやWHOはこれを拒否し、4000人が死亡するとの推計を打ち出している

WHO2006年になってガン死亡者数の見積もりを低汚染地域での死者数も含めて9000人、と修正したが、いずれにしても他の研究機関の調査にくらべて遥かに小さい死者数で信頼性が問題になっている。

(IPPNW・核戦争を防止する国際医師の会ドイツ支部によると、WHOは放射能による健康被害について1959年の合意でIAEAの許可なしに研究発表出来ない。そのIAEAは関係するICRP・国際放射線防護委員会に調査研究を任せている)

以来、IAEA及び国連機関とベラルーシ、ロシア、ウクライナとの間には抜きがたい不信感がある、と言われる。

IAEAは8つの国連機関と世界銀行、それに3カ国政府が出席して事故対策、科学的治療と健康計画などを協議するチェルノブイリ・フォーラムを2003年2月、2004年3月、2005年4月の3回開いている。

IAEA側は、甲状腺ガンが主要な健康被害の一つで4000人が甲状腺ガンを発症していると認めたものの、それと共に事故で被害を受けたことからくるストレスも原因だ、と主張したことから、3カ国政府の見解と対立している。

またIPPNWドイツ支部や環境保護団体グリーンピース、ニューヨーク科学アカデミーなどもIAEAの数字は事故による健康への影響を過小評価している、と批判している。

ICRPとは別にEUのヨーロッパ議会の決議造られたECRR・ヨーロッパ放射線危険度(リスク)委員会は、放射能のDNAへの影響を重視し、内部被曝の危険性をICRPに比べ厳しく見ている

ネステレンコ氏は記者会見でも、“ICRPWHOは健康被害を放射性ヨウ素によるものと認めたものの、他の原因を事故で被害を受けたことからくる精神的ストレスによる、とするだけで、他の放射性物質による被害に触れていない”、と批判し、今後は放射性ヨウ素、セシウムだけでなく(経費も時間もかかる)ストロンチウム90の計測を進めていくと、話している。

チェルノブイリ事故後26年経っても対策が終わることはない。ネステレンコ氏は、ベラルーシでは今も若い世代から高齢者まで健康被害が減らない。8放射能被害だけが原因ではないかもしれないが)平均寿命が原発事故以降6年ちかく短くなったという。ネステレンコ氏らが進める対策は、日本でも当然参考にすべきであろう。

【NLオリジナル】