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慰安婦と拉致と竹島と尖閣、ねじれ外交の日本(辺 真一)

日韓の「慰安婦バトル」と日朝の「拉致バトル」

昨日(16日)、国連総会第3委員会で日本と韓国が従軍慰安婦問題で口論したそうだ。韓国側が従軍慰安婦問題は「未解決の問題である」として、日本政府の責任を追及したのに対して、日本側は「解決済である」と応酬したそうだ。日韓のバトルはとうとう「場外バトル」に転じてしまった。

映像でみる限り、日本は韓国とのバトルでは防戦に追われていた感じだが、北朝鮮とのバトルになると、一転、攻守所を変えるから、外交は、ゲームの世界よりもリアルで面白い。

周知のように日本は国連人権委員会で毎年拉致問題を取り上げ、北朝鮮を激しく攻め立てている。日本にとっては未解決の問題である拉致問題を加害国である北朝鮮が白々しくも「解決済である」と取り合わないからだ。

しかし、よくみると、「解決した、してない」で遣り合う「従軍慰安婦」と「拉致」問題への日本の対応は、「尖閣」「竹島」の領土問題での日本の相反する対応とどこか似ているような気がしてならない。日本の外交も国会同様にまさにねじれ現象そのものである。

「中国との間には領土問題は存在しない。従って、協議する必要もなければ、国際司法裁判所(ICJ)で解決するつもりもない。だが、韓国との間には領土問題が存在するので、国際司法裁判所で解決を図りたい。韓国も応じるべきだ。応じないのは、自信がない証拠だ」というのが領土問題での日本のおよその言い分だ。

しかし、日本政府も、韓国政府も否認しようが、客観的にみて、日中、日韓の間には領土問題は現存する。そして「紛争」を平和的に解決する手段としては日本が主張するようにICJで白黒を付けるのが望ましい。ならば、日本も「尖閣」で自信があるならば、中国に呼びかけ、ICJに共同提訴して、決着を付けるのが筋ではないだろうか。

そもそも、テーマがなんであれ、二国間の問題を国連の場に持ち出すのは得策ではない。いかに反論したとしても「古傷」や「不名誉な過去」を相手から指摘され、非難されれば、国家としての対外イメージを損なうだけでマイナスだ。

日本も、韓国も、中国も国際社会の「理解」と「支持」を期待しているようだが、国連総会で野田総理や日韓の外相が演説した時、会場に空席が目立ったように国際社会はほとんど関心を寄せてないのが現状だ。どうにもならない問題を持ち出されても困るというのが多くの国の共通認識ではないだろうか。

仮に、支持の取り付けに成功したからと言って、事が進展するわけではない。なぜなら、国連の勧告に相手が従うとは限らないからだ。

例えば、国連人権委員会ではすでに16年前に女性の暴力に関する特別報告官のラディカ・クラスワミ氏 が提出した①真相の究明 ②法的責任の受託 ③公式の謝罪 ④責任者の処罰 ⑤被害者への賠償などを日本政府に勧告した報告書を満場一致で採択したが、日本政府は無視したままだ。

また、国連人権委員会では同じように7年前に拉致問題で国連人権委員会特別報告官に任命された ビチット・マンダボ-ン氏が北朝鮮当局に対して①拉致被害者の帰国②拉致実行犯の処罰③拉致被害者への補償を強く要求したが、これまた北朝鮮が無視し続け、何の進展もみられぬまま今日に至っている。

日本政府は「慰安婦」問題では加害者の身であるが、逆に拉致問題では被害者の立場に置かれている。加害者と被害者の立場が逆転した時、初めて相手の立場、主張が理解できるというものだ。

拉致被害者の立場から北朝鮮を告発、断罪させ、今後拉致被害者への損害賠償など相手にきっちりと清算させるためにも本来、加害者としての「過去」をきれいにしておく必要があったのではなかろうか。

過去の過ちを率直に認め、悔い、謝罪し、かつ補償し、そして二度と同じ罪を、過ちを犯さないことを約束することは、加害者としての当然の責務で、自虐行為でもなんでもない。むしろ、その潔さと勇気が国際社会から称賛されるだろう。

北朝鮮に対する日本人の怒りが収まらないのは、北朝鮮が、自らが犯した国家犯罪を自覚せず、いまもなお、拉致問題で誠実な対応を示さないばかりか、「偽の遺骨」にみられるようにむしろ開き直り、日本国民を挑発しているからに他ならない。

同様に従軍慰安婦問題に真摯に耳を貸そうとはしない日本の対応は、残念ながら、韓国人には拉致問題への北朝鮮の対応と同じように見えるようだ。

「生き証人」の慰安婦が一人、二人と消えるのを待ち、ひたすら鎮静化を図ろうとしている日本政府の対応と、高齢化した拉致被害者の家族が亡くなり、拉致問題の風化を待ち続ける北朝鮮当局の対応と大差はないようだ。

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