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北朝鮮兵士が上官を殺害!? 週末に起きた亡命事件の真相は?(辺 真一)

叔母が出てきたら、兵士が逃げた!

金正恩第一書記の貢献人でもある叔母の金慶喜(キム・ギョンヒ)書記が37日ぶりに姿を現した。

朝鮮中央通信は昨日開かれた金正日総書記就任15周年の記念報告大会の模様を伝えたが、金慶喜書記の名前は金正恩氏から数えて6番目、政治局常務委員の玄永哲総参謀長の次に発表されていた。

金慶喜書記は5人しかいない政治局常務委員ではなく、政治局員であることから序列は表向きNo.6だが、実質No.2の地位にある。彼女こそが、知る人ぞ知る影の最高実力者である。従って、内外のメディアが彼女の動静に注目するのは当然のことだ。

公開された大会の写真をみると、間違いなく政治局常務委員の一人である崔永林総理の隣に着席していた。これにより一応「病状が悪化し、危篤状態に陥っている」との「重病説」は打ち消される格好となった。

今回もまた、産経新聞が前日(6日)に金慶喜氏の「長期不在」を取り上げた直後の登場となった。「産経」は記事の中で金正恩氏が経済改革をできない深刻な理由の一つに金慶喜氏の長期不在を関連付けていた。

皮肉なことだが、7月30日から8月24日まで25日間、公式活動を絶った時も「産経」は「複数の臓器に疾患を持ち、今後の執務継続も危ぶまれる状態」と報じていた。この時も金慶喜氏は翌25日に出てきて、モランボン楽団の公演を鑑賞し、夜には軍服を着て宴席に出席し、健在を誇示していた。まるで「産経」の記事への「挑戦」というか、あざ笑っているかのようでもある。

金慶喜氏の「健康問題」はこれで一段落したが、週末に起きた北朝鮮兵士の亡命事件は、金正恩体制のイメージ失墜に繋がったようだ。

事件の全容は不明だが、これまで明らかにされた情報を簡単に整理すると、

1、事件は軍事境界線を警備する北朝鮮の歩哨所で白昼に起きた。

2、6発の銃声が聞こえた。

3、銃声から4分後に北朝鮮の兵士一人が、北朝鮮の歩哨所から500m離れた韓国側の歩哨所に向かって逃げてきた。

4、韓国側の歩哨兵は、この兵士が小銃を捨て、「帰順(亡命)」の意思を表明したので、12時10分に身柄を確保した。

5、この兵士は「警戒勤務中に小隊長と分隊長を射殺し、帰順した」と語った。

6、事件直後、北朝鮮の警備所から2人の遺体が運ばれているのを韓国側の歩哨所からの望遠鏡で確認された。

日本でも公開された韓国映画「JSA(非武装地帯)」をみれば、わかることだが、北朝鮮の歩哨所には通常3人の兵士が勤務している。二人の遺体が運ばれたということは、このうち一人が二人を射殺したことになる。

殺害された二人はいずれも上司、上官である。一般の社会とは異なり、上下関係が厳格な、とりわけ上官には絶対服従の部隊で起きただけにその衝撃は計り知れないものがある。ましてや、正恩氏はこの夏に38度線の最前線を視察していたからなおさらである。

亡命を企図し、最初から殺害を計画していたのか、それとも何らかのトラブル沙汰となってカットなって引き金を引いたのかは不明だ。

また、一部には、韓国への亡命を企てたのは一人でなく、複数(3人ない4人)でそのうち二人は銃声を聞きつけ駆けつけた北朝鮮の警備兵らによって射殺されたとの説もある。これが事実なら、偶発的な事件ではなく、集団による亡命事件ということにもなる。

北朝鮮から韓国への軍人による亡命事件は過去10年間で4件(02年、08年、10年)発生し、5人が亡命を果たしている。しかし、今回のように上官を殺害し、亡命したケースは極めて稀である。

前線の歩哨所に配属される北朝鮮の兵士らは人一倍忠誠心が強く、思想武装されている。そうした「模範生」が親、兄弟を犠牲にして、敵陣に亡命を企てるというのはよほどのことである。

耐え難き不満の理由は果たして何だったのか? 知りたいところだ。

食糧難や将来への絶望感による「離脱」か、それとも、韓国への憧れが絶頂に達したからなのか。

仮にこれが、兵士らに常日頃「警戒心を高めよ」と命令しておきながら、綺麗な夫人と腕を組んで歩いたり、遊園地で絶叫マシーンに乗り、はしゃいでいる同世代の最高司令官への不満や反発ならば、事は重大だ。

北朝鮮は事件については沈黙を守ったままだが、後始末をどう付けるのだろうか?

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