対北強硬派大臣で拉致問題は解決へ向かうのか(辺 真一)
内閣改造で拉致担当大臣がまた変わる。松原仁大臣から田中慶秋大臣に交代するようだ。
拉致担当の国務大臣は自民党の安部政権の時に据えられたが、拉致担当を兼務した塩崎恭久官房長官から数えてこの6年間で13人目、民主党政権になってからは7人目の交代となる。
松原氏が就任したのが今年1月13日。僅か9か月での交代だ。4か月で交代した前任者(山岡賢次氏)よりは長く持ったが、やはり例にもれず1年も持たず短命となった。
松原大臣が就任した時、「松原大臣の下で拉致問題は解決できるのか?」と素朴な疑問を呈したことを思い出した。解決してもらいたいのはやまやまだが、正直彼には無理だろうと思った。その理由として以下2点を挙げた。
第一に、松原大臣は大臣になる前は「金正日政権の打倒なくして拉致問題の解決はない」と一貫して主張していた経緯がある。その過去の言動を、父親を打倒対象にされた息子の正恩氏が決して忘れていないことである。父親の打倒を叫んでいた人物を交渉相手にするほど金正恩体制は寛大ではないということだ。
第二に、松原氏は野党時代に自民党の福田政権下で交わした安否不明者の再調査と制裁の一部緩和で合意した2008年の日朝合意を「日本外交の敗北である」と認めてなかったことである。
日朝合意を認めない人物が、北朝鮮に合意に基づき再調査を働きかけるのはあまりに矛盾しており、そもそも松原大臣に北朝鮮に履行を迫る資格はなかった。一言で言うと、松原大臣は拉致問題を解決する担当者として不適任であったということに尽きる。
案の定、北朝鮮は大臣就任から2か月後に朝鮮中央通信(3月10日)を通じて「朝日関係の本質も知らない松原のような人間が、拉致担当相を気取って、人気取りのために身の程知らずに戯れるほど、2国間関係は悪化する」と松原仁大臣を非難する論評を出していた。松原大臣がこれまで金正日総書記に敬称を付けず、日本読みで「キン・ショウニチ」と呼び捨てにしていたことへの腹いせか、「松原」と呼び捨てにもしていた。
それでも、松原氏は拉致被害者家族会の期待が大きかっただけに大臣就任来、北朝鮮を何とか動かそうと、必死だった。そのことは誰もが認めるところである。
「拉致問題が進展すれば、人道支援を行う」と盛んに北朝鮮に秋波を送っていたことがその証左だ。「金正日の料理人」である藤本健二氏を通じて何としてでも北朝鮮と渡りを付けようと奔走したのもその表れであろう。
人道支援については「独裁体制の延命に繋がる」との考えからこれまで「絶対NO」だったのに「条件付きOK」に軌道修正したわけだから、その豹変ぶり北朝鮮も驚いたはずだ。
また、「北朝鮮がこれまでの『死亡』の主張を撤回し、安否不明者の生存を認めれば、嘘を付いていたことへの責任を問わない」とか「(北朝鮮が)一度『死亡』と言った拉致被害者に対して、生きていることを認めたとしても、それは前向きなこととして評価する」と言って、何とか「拉致は解決済み」との立場の北朝鮮を翻意させようとしたりもした。頓挫したが、9月初旬の藤本氏の再訪朝の際にはこうしたメッセージを託すつもりだったのかもしれない。
しかし、常識的に考えて、仮に北朝鮮が嘘をついていたことがわかった場合、松原大臣自身が責任を追及しないと言っても、拉致被害者家族会、救う会、マスコミ、世論は北朝鮮を絶対に許すことはないだろう。「拉致はしてない。日本のデッチあげ」に続いて二度も嘘をついていたことになるからだ。一度なら許すが、二度となるとそういうわけにはいかない。「嘘つき国家」の烙印を押されれば、国交正常化どころの話ではない。
そもそも野田政権の松原氏の大臣起用は、自民党政権時代の中山恭子氏の起用と同じように拉致問題解決のためというよりは、むしろ拉致被害者の家族や「救う会」向けの対策という感じが正直否めなかった。
さて、後任には旧民社党出身の田中慶秋法務大臣が兼務することになった。法務大臣の兼務は2年前の柳田稔大臣に続き二人目だ。
田中大臣も松原大臣同様に野党時代は対北強硬論者の一人である。
小泉政権の2005年7月に開かれた衆議院拉致問題特別委員会で質問に立ち、「(北朝鮮への)日本の対応は弱腰だ。立法府が経済制裁をいつでも行えるように外為法の問題、特定船舶乗り入れ禁止法の問題、送金停止の問題など経済封鎖という経済制裁も含めて議員立法として明確に発動するようにしているにもかかわらずテロに対する認識が甘い」と北朝鮮に制裁の発動を強く迫っていた一人である。
松原大臣の二の舞となるのか、それとも、13人目にして、拉致問題で成果を挙げることができるのか。ここは、民主党政権最後の拉致担当大臣になるかもしれない田中氏に期待したいところだが、さて?
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