安倍新総裁と北朝鮮 知られざる歴史の裏舞台(辺 真一)
野田政権か、安倍政権か、北朝鮮の選択は?
北朝鮮は局長級の日朝政府間協議の開催時期について日本が望んでいた「小泉訪朝」10 年目の9月17 日までの開催を「時期尚早」と応じなかった。日本の政局の動向、特に相次いで開かれた民主・自民両党の党大会の代表、総裁選の結果を見極める必要があったのだろう。
その民主党の代表には野田総理が再選され、また自民党の新総裁には安部晋三元総理が選出された。北朝鮮にとって交渉相手として、どちらの政権が望ましいのか、まもなくその判断が下されるだろう。
安部さんは、5年前は拉致問題で自民党総裁(総理)になったと言っても過言ではない。拉致問題で人気を博したのは、「拉致をしたり、核を開発したり、偽札をつくったり、麻薬の密輸をやったりする北朝鮮に話せばわかると考えている人は能天気だ」と断じ、「北朝鮮に一切の代償を与える考えはない」「落しどころもなければ、一切妥協するつもりもない」との「毅然たる外交」が「めぐみさんの偽遺骨」で北朝鮮に憤怒していた国民に受けたことに尽きる。
拉致被害者5人の一時帰国を阻止し、経済制裁を主導し、金正日政権のレジームチェンジ(体制転換)まで口にした安部政権の復活は北朝鮮にとっては「最悪」と見るのが自然かもしれない。「拉致を認め、謝罪したにもかかわらず、日朝関係が進展せず、逆に悪化したのは安倍のせいだ」とみなしているならば、なおさらのことだ。
しかし、北朝鮮の外交はそれほど単純ではない。安部外交もしかりである。
北朝鮮は小泉政権の後釜として登場した対北強硬派の安部政権を当初、相手にしないと強弁していた。しかし、現実には07 年4月に「拉致問題で協議したい」と安倍首相の政務秘書官を務めていた井上義行氏に水面下で打診していた。一説では、安倍サイドからアプローチがあったとも言われているが、どちらにせよ、北朝鮮が井上氏の訪朝を受け入れたのは、紛れもない事実だ。
「制裁は対話のための手段。究極的には対話で解決しなければならない」との持論の安部政権も直ちに応じ、外務省幹部をシンガポールに派遣し、北朝鮮側との接触を開始した。
翌5月に「北朝鮮が『拉致問題は解決済みで、問題ない』から『ある』に変えるだけでも進展だ」と発言し、北朝鮮が「解決済み」を撤回し「再調査に応じれば、進展とみなす」と膠着状態に陥っていた拉致問題解決のハードルを下げたのは、他ならぬ今回の総裁選で安部氏を応援した麻生太郎元総理(当時外相)である。
さらに麻生外相は8月にASEANフォーラムで「拉致と過去の清算問題を一緒に議論する用意がある」と表明したが、北朝鮮側は「日本の外相が過去の問題を関係正常化の中で論議しようと語ったのは、最近では少し異例のことではないか」(チョン・ソンイル外務省副局長)と「麻生発言」を前向きに評価した。
そして、安倍総理も同月にインドネシアを訪問した際に「拉致、核、ミサイル、不幸な過去の清算は積極的に取り組み、正常化を目指したい」と発言し、北朝鮮を驚かせた。
「拉致と核とミサイルを包括的に解決する」というのがそれまでの日本政府の決まり文句だが、安倍総理は初めてこの3点セットに北朝鮮が求めていた「不幸な過去の清算」を加えたのである。
安倍総理は一週間後の8月28日にはさらに一歩踏み込んで、「一刻も早い拉致問題解決を目指す」と同時に「不幸な過去の清算をして、日朝国交正常化を行っていく」と発言した。安部総理のこの一連の発言を宋日昊日朝国交正常化交渉担当大使は「個人的に評価する」と歓迎したからこそ「制裁を科せられたまま日本と交渉するつもりはない」との姿勢を撤回し、9月初旬にモンゴルでの日朝作業部会に応じたのである。
当時の日朝国交正常化交渉担当大使は、美根慶樹さんだが、美根大使が「拉致、核、ミサイルの諸懸案を包括的に解決し、不幸な過去を清算し、国交正常化を実現するという基本方針のもと、誠実に対応したい」と発言し、宋日昊大使は「いままでで、最も雰囲気が良かった」と上機嫌だったことは言うまでもない。
モンゴルでの作業部会終了後に安部政権は、日本赤十字社を通じて北朝鮮の水害支援を呼び掛けた国際機構に日本赤十字社を通じて3千万円を「寄付」し、さらに「拉致問題で進展がなければ、核問題で進展があってもびた一文出さない」(麻生外相)としていた日本政府は国際原子力機関(IAEA)に北朝鮮の核施設を監視する資金も提供した。
ところが、安部さんが体長不良を理由に9月12日に突如退陣を表明し、順調に進んだ日朝交渉は一時的に途絶えたが、これが、翌2008年8月の福田政権下での「日朝合意」の下地になったことは言うまでもない。これが、知られざる歴史の裏舞台である。
北朝鮮にとっては、北朝鮮問題への関心が薄い民主党の野田総理よりも、自民党の安部総裁のほうが交渉相手としてベターと捉えているなら、野田政権を相手に交渉を急ぐ必要はない。政権交代は確実と判断していれば、レームダックに陥りつつある野田政権を相手にせず次の政権が誕生するまで動かないだろう。
それでも、人道支援の取り付けは急務である。政権交代まで待ってはいられない。また、経済再建を進める北朝鮮にとって制裁の緩和も早ければ早いことにこしたことはない。
また、安倍政権になれば、制裁緩和どころか、制裁強化という事態になりかねないとの危惧があるならば野田政権を相手に交渉に臨むことも考えられる。仮に選挙対策や政権維持の狙いから拉致問題で成果を上げたいと野田政権が焦っているなら交渉相手とするのも悪くはないだろう。
野田政権とは日本人の遺骨収集と墓参問題に限定し、安否不明者の再調査問題は次の政権を相手に進める「二段構え」で出てくるのか、それとも、野田政権との間で一括交渉をす るのか、いずれにせよ近々、その回答が出されるだろう。
【ブログ「ぴょんの秘話」&NLオリジナル】