対北「密使」は猪木か料理人の藤本か?(辺 真一)
日朝政府間本協議の日程がまだ決まらない。
玄葉光一郎外相は4日、局長クラスに格上げされることになっている次回協議について「日朝平壌宣言から10周年ということもあるので、それは1つの目安になりうる」と述べ、同宣言が署名された9月17日までの日朝本協議の開催を目指す考えを示していた。
しかし、8月31日に終了した先の課長級協議からすでに10日以上も経っているのにまだ北朝鮮からの返事はない。日程や議題については「外交ルートを通じて調整する」(北朝鮮の劉成日外務省課長)としているので北京の大使館を通じて折衝していることは察しが付くが、難航しているのだろうか?
北朝鮮は玄葉外相が4日の記者会見で議題とすることで合意した「双方が関心を有する事項」について「「当然、わが国からすれば最も重視する拉致の問題はじめ、安全保障等の問題も含めて確固たる姿勢で対応しなければならない」と発言したことに反発し、翌5日に外務省報道官を通じて「日本が不純な政治目的だけを追求するのなら、対話が続くうえで否定的な影響を及ぼすことになる」と本協議の主題に拉致問題を含むことを牽制していた。
北朝鮮は外務省報道官の談話を出すまで、日朝政府間協議が課長級ではあるが、4年ぶりに開かれたにもかかわらず、その事実さえ伝えなかった。8月初旬に開かれた日朝赤十字交渉は終了と同時に報道したのとは好対照だ。日本が「不純な政治目的を追求した」から黙殺したのかは定かではない。
日本側の発表では、課長級交渉では「より高いレベル(局長級)の本協議」を「早期に開催する」ことで意見の一致を見たことになっているが、開催時期については「9月上旬」とか「中旬」とか、遅くとも「下旬」とも明記されなかった。本当に9月17日頃に開かれるのか、不安も残る。
仮に北朝鮮が野田政権は「近いうち」に交代すると踏んでいれば、本協議の開催は引き延ばされるかもしれない。仮に「早期」の開催に応じたとしても、野田政権とは遺骨問題に限定し、拉致問題は次の政権を相手にとの作戦に出るかもしれない。従って、9月中に本協議が開かれたとしても、拉致問題の進展までには時間を要することになるだろう。
さらに、もう一つ、不安材料がある。北朝鮮が昨日(10日)、これまで一貫して「相手にしない」と無視しし続けていた北李明博政権から赤十字社を通じての人道支援を受けることを表明したことだ。
北朝鮮は日本人戦没者の遺骨収集・返還及び遺族の墓参りなどの人道的措置に対して日本からそれ相応の人道支援を密かに期待していた。日本にとっても人道支援は北朝鮮を交渉のテーブルに着かせ、拉致問題を議題にさせるための有力なカードとなっていた。
しかし、韓国政府が北朝鮮との関係修復のため人道支援のカードを先に切ったため、その分、日本の人道支援カードは効力が半減する。もちろん、北朝鮮が日本からも人道支援をゲットする考えならば、哨戒艦撃沈事件や延坪島砲撃事件などで独自の制裁措置を取っていた韓国政府が人道支援に踏み切ったことで日本としても韓国に気兼ねすることなく、人道支援ができる環境が整ったことにもなる。干ばつや水害、台風などの災害の復旧と食糧の調達が急務ならば、人道支援と経済制裁の緩和を条件に北朝鮮は日本との交渉に前向きに出ざるを得ないだろう。
一方、野田政権とすれば、せっかく繋がった日朝の糸を切りたくないところだ。課長級交渉後、「局長級協議の場では当然、拉致問題を協議する」(藤村官房長官)と国民に公言した以上、期待を寄せている拉致被害者家族や国民を落胆させるわけにはいかない。本協議が開かれないとなると、野田政権にとっては大きな痛手となる。局長級協議を何が何でも、開催したいところだ。
そうした野田政権の事情もあって、一説では、「金正日の料理人」の藤本健二氏の再訪朝の際には、金正恩第一書記と差しで会える藤本氏に親書を託すのではとの見方が出ていたが、再訪朝のため7日に成田を出国した藤本氏は空港でのテレビインタビューで「野田総理からの親書は持参していない」と語っていた。
藤本氏が複数の関係者に語った話では、当初は一週間前の8月31日に日本を発つ予定だったが、政府サイドから「一週間、訪朝を延ばしてもらいたい」との要請があったとのことだ。一週間前と言えば、8月31日で、3日間にわたる日朝課長級協議が終了した日である。政府とすれば、協議の結果を踏まえて、藤本氏に何かを託すつもりだったのかもしれない。
「脱北」した北朝鮮を11年ぶりに訪朝した藤本氏は帰国後、テレビに出演した際「親書を200%、金正恩氏に届ける自信がある」と豪語していた。「一週間延ばしてくれ」との要請があったことから「間違いなく託される」と確信していたそうだが、空港でのテレビ局のインタビューでは「直前になって親書を託せないと言われた」と憤慨していた。
これが、マスコミや世間を欺くためのカモフラージュ、演技なのかどうかはわからない。しかし、藤本氏の発言が事実なら、親書を持参しなかった可能性は高い。一国の総理の親書を一介の民間人に託すわけにはいかないということなのかもしれない。それでも、野田総理に近い高官が藤本氏に頻繁に接触していたのは紛れもない事実である。
野田総理直々の親書ではなくても、この期間、藤本氏が仮に松原拉致担当大臣ら関係者と接触していたならば、文書にせよ、口頭にせよ、何からのメッセージを託されている可能性はある。仮に北朝鮮が17日まで肯定的な回答があったとすれば、藤本氏がメッセンジャーとして何らかの役割を担った可能性も否定できない。
脚光を浴びた藤本氏の陰に隠れ、目立たないが、アントニオ猪木氏の動静にも注目したい。
猪木氏は藤本氏よりも一足早い、7日に平壌に到着し、その日のうちに宿舎の高麗ホテルを訪ねてきた金英日党国際担当書記と会談している。極めて異例だ。
というのも、前回の訪朝は、4月の「金日成主席生誕100周年」行事関連だが、12日に平壌に到着した猪木氏が金英日書記と会ったのは3日後の15日だ。この時と比べても、今回は素早い。二人が早急に会わなければならない事情があったからだろう。
猪木氏は前回の訪問後に北朝鮮側から「今、動いてもしょうがない」と外交に消極的な立場を伝えられたと明らかにした。拉致問題についても「触らなかった」と語っていた。
猪木氏は23回の訪朝歴も自負するほど、北朝鮮通で、北朝鮮当局の信頼も厚い。猪木氏自身も、「双方に望まれれば、橋渡しの用意がある」と再三にわたって言明している。公然の秘密だが、猪木氏はかつて、金泳三政権時代の1996年に南北間の「密使」の役割を担ったこともある。
今回の訪朝は、前回同様にイノキ・ゲノム・フェデレーション株式会社会長としての訪朝だ。
一般的に知られてないが、現在、モハメッド・アリやマイク・タイソンなど世界ヘビー級タイトルマッチを仕掛けるなど世界的なプロモーターとして名高いドン・キング氏が「北朝鮮プロジェクト」という名称のイベントを計画している。先月にはニューヨークで北朝鮮の外交官と接触、平壌での興行を打診していた。
金正恩夫妻出席の下、7月初旬に平壌開かれた「ポチョンボ音楽会」でロッキーのテーマソングが演奏され、バックスクリーンにロッキーの映画のワンシーンが登場したことを耳にし、「北朝鮮プロジェクト」を計画したようだ。
北朝鮮で「スポーツ平和祭典」を成功させた実績のある今回の猪木氏の訪朝は、「北朝鮮プロジェクト」の仲介も兼ねているものとみられるが、米朝の仲介はやって、日朝の仲介はやらない手はない。仮に、猪木氏に親書を託したとすれば、藤本氏は「お役御免」なのかもしれない。
メッセンジャーが藤本氏なのか、それとも猪木氏なのか、どちらにせよ、間もなく、その回答が出るだろう。
【ブログ「ぴょんの秘話」より】