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中台統一を目指す習近平の経済構想(相馬 勝)

海峡西岸経済区プロジェクトとは?

最近、取材で福建省に出かけた。福建省は習近平国家副主席が17年間、幹部を務めたところだ。駆け出しは廈門(アモイ)市副市長で、このとき現在の夫人の彭麗媛さんと結婚したほか、福建省長を経験するなど、彼にとって個人的にも政治的にも思い出深い土地だ。

習氏が福建省を去って、もう10年以上も経つが、福建省長時代の習氏が構想を温めていた「海峡西岸経済区」プロジェクトがようやく現実のものになろうとしている。

私は南方特有のスコールが時折り、ワゴン車のフロントガラスを激しくたたきつけるなか、早朝の廈門(アモイ)を出発し、福建省の省都・福州市に向かった。アモイ中心部から福州市中心部まで、ほぼ時速110キロで4時間かけて、海岸線に沿って北上した。片側3車線の高速道路はまだ新しく、走行は快適だ。

習近平がアモイ市副市長だった1985年にはまだ高速道路はできておらず、上司だった福建省トップの項南・省党委書記に会いに行くのに車で約8時間かかったという。習近平はこの経験をもとに、「アモイと福州を高速道路で結びたい」と項南に高速道路開発の必要性を強く訴えた。これがほぼ完成したのは習近平が福建省長時代の2002年になってからだ。

[caption id="attachment_3306" align="alignnone" width="567"] アモイと福州を結ぶ高速道路(筆者撮影)[/caption]

高速道路を走っていると、右手の海岸線のところどころに巨大なクレーンや重機などが見える。「東方見聞録」の著者マルコ・ポーロも滞在し「世界最大にして、最も繁栄している場所」と称賛した泉州に加え、恵安、莆田、福清など福建省の主要都市の海岸線に沿って建設工事が進んでいるようだ。

地元の政府幹部によると、これが「海峡西岸経済区の工事だ」と語ってくれた。

この「海峡」とは「台湾海峡」で、海峡西岸に位置する福建省全体と隣接する広東、江西、浙江の3省の一部が経済開発の対象だ。日本の面積の約3分の1で、カバーする人口は約8000万人と広大な経済区構想である。すでに国家プロジェクトとして認可され、8年後の2020年、福建省の域内総生産(GDP)は2000年の10倍以上の4兆元(約50兆円)に達する見通し。中台間の経済発展と融合を加速させ、中台統一の条件を整備するという一石二鳥を狙っている。

「海峡西岸経済区の構想には習近平が深く関わっている」と地元幹部は明かす。構想が初めて公になったのは2004年だが、02年10月まで福建省長だった習近平が中心となって構想のプランを練っていた。特に、福建省で17年間も幹部を経験した習近平には親しくしていた台湾人実業家も多く、彼らから福建省を舞台にした中台協力による経済区創設について意見を聞き、具体的な青写真作りも進めていたのだ。

しかも、この構想は習近平のアモイ市副市長時代(1985~88年)の経験が下地になっている。当時のアモイは政治的にも経済的にも大きなターニングポイントを迎えていた。最高実力者・鄧小平が強力に推進した改革・開放路線の重要政策として、アモイ島のほぼ全域が「経済特別区」に認定され、習近平も中国の現代化建設の一翼を担うことになったのだ。

いまでこそ中国有数の観光地でありビジネスセンターで、国内はおろか海外からも観光客やビジネスマンが押し寄せているアモイだが、かつては漁業しか生計を立てる術がない貧困地帯だった。亜熱帯気候で猛烈なスコールや台風も多いため、海が荒れると漁に出ることもできず、住民は飢えに苦しんだ。糊口をしのぐため、死を覚悟で大洋に乗り出し、東南アジアや台湾に渡り華僑となった住民も多い。富をつかんで故郷に錦を飾った華僑はごく一部だったが、いつしかアモイは東南アジア諸国に散らばる「華僑のふるさと」と呼ばれた。

鄧小平は東南アジア華僑や台湾の経済力を目当てに、アモイを特区に指定した。当時はまだ英国の植民地で、アジアの金融センターとして経済的繁栄を遂げていた香港の資金力に目をつけ、隣接する広東省内に深圳など3カ所に経済特区を創設したのと同じ発想だ。

[caption id="attachment_3307" align="alignnone" width="567"] 福州市内にある福建省政府庁舎(筆者撮影)[/caption]

しかも、広東省トップとして陣頭指揮で改革・開放路線を推進したのは習近平の父である習仲勲だった。いまや習仲勲は「経済特区の父」と呼ばれている。当時、清華大生だった習近平も、父のいる広東省をしばしば訪問し、経済特区建設を間近で見てきた。さらに、その6年後には自らもアモイで経済特区政策を推進することになる。

かつての〝戦場〟が中台経済協力のシンボルに

今回の海峡西岸経済区構想はまさに福建省全域を経済特区にするという大プロジェクトと等しく、習近平は自らが立案した構想を最高指導者として実現させることになる。まさに、彼にとっては因縁深いプロジェクトだ。

「中国は2020年までに中台統一を目指している。そのときの最高指導者は依然として習近平だ。2023年の国家主席退任による引退までに、中台の政治的、経済統一を確固としたものにして、自らの歴史的偉業にするというのが、習近平の描いているビジョンであり、その推進力の源泉が経済区構想だ」

地元幹部はこう解説したうえで、福建省政府は今年2月、経済区構想を実現するために、「台湾資本を見込んで、福州から車で2時間ほどの平潭島に『総合実験区』を創設して、実質的な『対台湾特区』を創設した」と語る。

実験区は台湾資本の税制優遇はおろか、台湾から実験区の幹部を20人募集し、行政組織である平潭総合実験区管理委員会の副主任委員をはじめ、経済発展局など各局の副局長職として採用するほどの力の入れようだ。また、実験区内では人民元、台湾元をともに使うことができ、台湾内での自動車ナンバーや医師免許、さらに新聞発行、テレビ放映も認められるという、まさに台湾のために作られた経済特区そのものである。

筆者は地元幹部の案内で平潭島に行ってみた。この時期、福建省は梅雨に当たっており、あいにくの豪雨で工事現場を直接歩くことはできなかったが、台湾資本を誘致するため、港湾や豪奢な庁舎や関連施設が建設されており、工事現場にはトラックやダンプカー、重機が所狭しと動き回っていた。島民の期待も高く「2、3年もすれば、福州やアモイのように高層ビルが建ち並び、収入も今の倍以上の1万元(約12万5000円)にはすぐなるさ」と述べており、彼らの高揚した雰囲気が伝わってきた。

[caption id="attachment_3308" align="alignnone" width="484"] 平澤島の税関(地元政府提供)[/caption]

「この『平潭島総合実験区』計画には人民解放軍が深く関わっている。それを裏で操っているのが習近平だ」

実は、平潭島は軍の台湾侵攻作戦を想定した軍事演習場として、解放軍の管轄下に置かれていたのだ。

中国指導部から「台湾独立派」と呼ばれた台湾の李登輝総統が1995年、初の総統直接選挙となる総統選への出馬を表明したことから、中国政府は激しく反発し、95年から96年にかけて、台湾近海を標的にしたミサイル発射実験や陸海空三軍による大規模軍事演習を行った。軍事演習の現場の最高責任者だった張万年・軍事委副主席が実際に現地に乗り込んで、侵攻作戦の指揮をとったのが、この平潭島だった。

平潭島は1949年の新中国成立後、中台間の軍事的緊張が増すとともに、解放軍の艦船や部隊が集結するなど、台湾攻撃の重要基地と位置づけられていた。台湾独立の気運を強めていた民主進歩党の陳水扁政権時代にも、平潭島で台湾を威嚇する目的で大規模軍事演習が行われてきた。この島に変化が訪れたのは、中国との融和政策を標榜する国民党の馬英九政権が誕生してからだ。

「軍が基地を建設している重要拠点を手放すことはほとんど例がない。しかも、かつての台湾侵攻作戦の大軍事演習を行った島が、いまや台湾資本獲得のための総合実験区になるという画期的な変化を遂げた。これは軍事委副主席の習近平が軍指導部を説得したからにほかならない」と地元幹部は指摘する。

「それだけ、習近平は自身の最高指導者としての成否をこの海峡西岸経済区構想に賭けているのだ」と地元幹部は付け加えた。

【NLオリジナル】