静かなる杜を 終戦記念日 靖国再考2010(文・写真/上杉隆)
きょうは2012年8月15日、67回目の終戦記念日である。
前回の寄稿に引き続いて、靖国神社問題を振り返りたい。今回は3年前、政権交代後の2010年の筆者のダイヤモンドオンラインのコラムの再掲である。
http://diamond.jp/articles/-/9111
※
終戦記念日、今年も靖国神社に参拝に行った。1999年以来、11年連続となる。
参拝後は取材である。到着殿に回り、国会議員の参拝後の様子を窺った。その後は例年通り、境内大鳥居の脇のところで「チャンネル桜」のインタビューに応じた。久しぶりにお会いした東條英機元首相の孫・東條由布子氏とも挨拶を交わした。
例年よりも参拝客は少ない。コスプレ風の若い女性参拝者が増えたのも例年にない傾向である。靖国神社の風景は確実に変わっているのだろう。
菅内閣の閣僚が全員参拝を控えたためか、政治的な騒動も消えたようだ。そもそも、靖国神社の求めている参拝時期はそれぞれ春季と秋季の例大祭である。終戦記念日の英霊顕彰は、日本遺族会の希望である。静かな参拝を望むという点では、靖国側の求める状況に近づいたともいえる。
筆者が初めて日本遺族会を取材してからすでに9年が経過した。2001年8月13日、時の小泉首相が、内閣総理大臣として久しぶりに靖国を参拝した朝以来、靖国神社は常に騒動の中にあったような気がする。
今回、確かに靖国神社には相対的な「静寂」が訪れた。だが、根本的な問題解決には至っていない。
その理由は、いわずもがな、いわゆるA級戦犯の合祀の問題が、何一つ進展・解決していないからである。
9年前のその日、小泉元首相はこう語った。
「私はね、特定の人だけに対して参拝しているじゃないんです。この戦争でね、苦しい思いをされ、できれば避けたかった、戦場に行きたくなかった多くの兵士がいるんです。その人たちにお参りしているんです」
東條氏の祖父を筆頭とする戦争指導者を靖国神社が合祀していることの是非について、世論が分かれているのは紛れもない事実である。
中国や韓国に指摘されるまでもなく、たった一枚の「召集令状」で戦場にかり出され、たった一枚の「戦没者通知」として還ってきた、父や、夫や、息子を思う余りに、戦争指導者を絶対に許さないという遺族の声は少なくない。
単純化した日本のマスコミの一面的な報道と違い、日本遺族会の会員たちの間には、一枚岩ではない様々な考えがあることを知ったのは取材を始めた直後だった。その温度差に触れるにつれ、筆者はますます靖国問題にのめり込んだ。
たとえば、わずか2歳のとき、召集令状によって向かったフィリピンのレイテ島で父を亡くした日本遺族会会長の古賀誠衆議院議員と、同じく日本遺族会副会長で、3歳のときに海軍少佐で駆逐艦「夕霧」の艦長だった父を失った尾辻秀久参議院議員では、いわゆる「A級戦犯」に対する感情が全く違うのを知ったのも取材によってである。
単純化すれば、古賀会長は「分祀」を求め、尾辻副会長は「合祀」を主張している。日本遺族会にもいろいろな意見があるのだ。
ただし、日本遺族会内で完全に一致している目標もある。
・内閣総理大臣による英霊の顕彰
・海外の未送還遺骨の収拾
・民間建立の慰霊碑の整理
今回、菅政権は、東京都の硫黄島において、戦没者の遺骨収拾事業を本格化させた。日本遺族会の長年の要望がようやく国家事業としてスタートしたことは、実際、喜ばしい限りである。
問題は英霊の顕彰である。小泉元首相の例を見るまでもなく、現在において、このこと自体のハードルは限りなく高いようだ。なにしろ、終戦記念日の首相の靖国参拝は、保守を気取る安倍晋三元首相ですらできなかったのだ。普段から靖国参拝を否定している菅直人首相が実行に移すとは到底思えない。
だが、その実、首相による靖国参拝は終戦後から繰り返し行われていた。外国の国家元首が参拝することもあった。なにより、いわゆるA級戦犯の合祀がわかる直前まで、昭和天皇も靖国を参拝していたのである。
実は、日本遺族会は、先述した3つの目標の他に、秘めたる「悲願」を抱えている。
それは、天皇陛下による靖国参拝の復活、つまり、英霊の顕彰である。
戦没者の多くは「天皇陛下のため」、「お国のため」、「家族のため」、「母のため」、「妻のため」、「子供たちのため」と思いながら死んでいった。それがどんな理由にしろ、「靖国の杜で会おう」という言葉を遺して、若い命を散らしていったのだ。
つまり、日本遺族会が一貫して、国立追悼施設の建設に反対し、靖国神社への参拝を求めているのは、それが死んでいった家族との「約束」だからに他ならない。
「靖国で会おう」と言っていた家族の魂はそこにしかないと信じているのである。そして、その英霊たちがもっとも喜ぶことが、天皇による参拝だとも信じているのだ。それは理屈ではない。遺された家族がそう信じていることこそが重要なのだ。
靖国神社には、国家のために戦った者が英霊として祀られることになっている。
戊辰戦争以来、最初は3588名、その後、ペリー来襲まで時代を遡っての合祀が認められたため、幕末の吉田松陰、高杉晋作、いま話題の坂本龍馬も、「維新前後殉難者」として合祀されている。
兵士でなくとも、国家のために戦死と見なされれば合祀される。「ひめゆり」の看護救護女学生、輸送船「対馬丸」の集団疎開中の生徒たちもそうした理由から、靖国に祀られている。
その一方で、乃木希典や東郷平八郎は戦死でないため、靖国にはいない。そうなると、処刑されたいわゆるA級戦犯の戦争指導者たちはどうなるのか。
「公務死」、「法務死」という概念を用いて彼らは「合祀」されていることになっているが、そこには多くの疑義が残っていることを、筆者はこの9年間の取材で掴んでいる。
その点について、靖国神社は現在、態度をあいまいにしたままであることからも付け加えておく。それらは重大な疑義であるが、長くなるのでまた別の機会に触れることにしよう。
遺族が秘かに求めている天皇の参拝は、現状では困難になっているようだ。日本遺族会の誰に聞いても、この点については同じ言葉しか返ってこない。
「畏れ多くて、陛下にそのようなことをお願いすることなどできません」
それゆえに、日本遺族会の総会ですら、天皇陛下による英霊顕彰という「悲願」は、一切話題に上らないのである。
慎み深い日本遺族会の会員も、ついに最年少が65歳になった。戦後65年、靖国問題を放置してきた政治の罪は重い。
与野党関係なく、そろそろいわゆるA級戦犯、戦争指導者の扱いも含む、靖国問題を直視する時期に来たのではないだろうか。