日本を考える夏 遺族会の悲願 靖国再考2009(文・写真/上杉隆)
今年もこの日が訪れた。
きょう8月15日は終戦記念日、戦後67年、多くの日本人にとっては特別な追悼の日だろう。
筆者にとってもそうだ。1999年来、筆者は靖国取材と参拝の両方を続けている。そして、今年もまた九段の杜にやってきた。
政治の怠慢により、この問題は放置されたままである。それは取材当初から変わらない。その実態を示すため、ダイヤモンドオンラインの筆者の過去のコラムを掲載してみようと思う。
http://diamond.jp/articles/-/6531
(時系列の関係で一部表記を変えている)
※
「この8月を、日本を考える一ヵ月にしていただきたい」
公示日直前、党首討論の席上などで、麻生首相は繰り返しこう語っていた。8月6日の広島、9日の長崎の原爆、15日の終戦記念日――。確かに、60年以上前の悲惨な戦争の歴史を思い起こし、家族や国家のために犠牲になった多くの日本人への追悼の季節にしたい、という麻生首相の提案は頷ける。
だが、終戦記念日直前、靖国神社参拝の是非を問われて、麻生首相はこうも語っていた。
「靖国神社参拝や戦没者への慰霊は、もっとも政治やマスコミの騒ぎから遠くに置かれてしかるべきものだ」
一見するとそうかなぁ、とも思う。だが、果たして、本当にそうなのだろうか。いわゆるA級戦犯合祀の発覚以降、四半世紀の間、その問題を放置し続けてきたのはほかならぬ自民党政権であった。靖国神社などに絡む議論を一宗教法人の問題だと片付けて、事実上封印してきたのは時の政府である。
麻生首相の言葉からも、歴代の首相がそうであったように靖国問題を争点化したくないという思惑しか感じられない。選挙が近いからといって、国民・国家の根幹の問題に、都合よく蓋をするのは到底看過できない。今年(2009年)の終戦記念日に靖国神社を参拝した首相経験者は、小泉純一郎氏と安倍晋三氏のみである。
そもそも日本遺族会は、終戦記念日の首相の参拝を求めてきたわけではなく、春秋の例大祭での参拝を望みつづけてきた。
だが、ここではそのことは置いておこう。日本遺族会の方針が、内閣総理大臣の英霊への顕彰であることは間違いなく、時期の差異はそれほど問題視していないからだ。むしろ、遺族会が警戒しているのは、鳩山由紀夫民主党代表の語る次の提言である。
「国立追悼施設の建設については、具体的にどこまで詰められるかという問題があるのかもしれません。しかしながら、無宗教で、どなたでも、わだかまりなくお参りできる追悼施設が必要だという考えに変わりはありません。民主党が政権を取ったら、できるだけ早く作って参りたいと思います」
じつは麻生首相も無宗教の追悼施設建設を望んでいる。首相になる前、靖国の無宗教化の考えを雑誌に寄稿したりもした。いずれにせよ、今回の総選挙の結果がどうであれ、靖国神社の問題は大きく動く可能性がある。
だが、その方向性こそ日本遺族会のもっともおそれるものなのだ。終戦記念日、鳩山代表は、新潟県長岡市内での記者会見でこう述べている。
「天皇陛下が靖国神社に長い間、行っていないという現実があります。陛下も大変つらい思いでおられると思います。陛下にも心安らかにお参りしていただける施設が必要ではないでしょうか。党としても取り組んでいきたいと思います」
遺族会にとって、鳩山氏のこの発言は、半分で核心を突き、半分で困惑を誘う結果になっている。長い間、日本遺族会の方針が、内閣総理大臣の靖国参拝であることに変わりはない。だが、実は、その裏には、天皇陛下の靖国参拝という悲願がずっと隠されてきている。
本来ならば陛下の参拝は運動方針の筆頭に掲げたい。ところが、陛下にお願いするというのはあまりに恐れ多いということで、それは方針ではなく密かな願望として会員たちの胸に共有されおさめられてきたのだ。そう、なによりも、天皇陛下の英霊へのご顕彰、それが日本遺族会にとっての「悲願」なのである。
1975年を最後に、天皇の靖国参拝は途絶えている。参拝中止の理由は「富田メモ」や国立国会図書館が編纂した資料(2007年3月 新編・靖国問題資料集)でも明らかなように、いわゆるA級戦犯の合祀にある。
保守論壇の中にはこの見解を認めない者もいる。天皇の参拝中止は、いわゆるA級戦犯の合祀とは無関係であるという立場だ。だが、それは違うだろう。
靖国問題に詳しい出口晴三・元葛飾区長の綿密な調査によって、1978年のA級戦犯合祀の際、昭和天皇が示された不快感とそれを根拠に参拝に行かれなくなったというさらなる確証がみつかっている。
では、いわゆるA級戦犯の存在が天皇の参拝を妨げているのであるならば、なぜ靖国問題の解決は進まないのか。追悼施設などを作らなくても、明日にでも分祀を行えば、すぐにでも解決しそうな話ではないか。じつは分祀問題が停滞している理由は、政府、つまり政治側にある。
一見すると、いったん合祀した霊魂は分祀や廃祀することは不可能だといい続けている靖国神社側に問題があるようだが、それは畢竟、政治の問題に過ぎないのである。戦後、合祀の根拠となる祭神名票の送付事務は、旧厚生省引揚援護局が一貫して行なってきた。A級戦犯の合祀も、その行政的な手続きに基づいてというのが靖国神社の言い分である。
しかし、先述の出口氏の調査では、14人のA級戦犯の祭神名票が取り消されていることがわかってきている。しかも、その一部は、そもそも合祀の根拠となる祭神名票の送付すらされていない可能性も出てきたというのだ。
60年以上前、若き命を散らした数百万柱の英霊たちの多くは、家族を救うため、天皇を崇拝し、靖国で会おうと誓い合っていた。国立追悼施設の建設はそうした英霊、なにより残された遺族たちへの裏切りに他ならない。30年以上前までは、昭和天皇も、内閣大臣も、堂々と靖国神社に参拝していたではないか。
2002年、福田康夫官房長官(当時)が企図したころの追悼施設の建設予定地は、ある宗教団体の土地であったともいう。家族や国のために死んでいった英霊たちを、政治的な利権で穢してはならない。新しいハコものもいらない。
保守を自称する自民党のトップは、30年以上もこの問題を放置してきた。遺族会の会員の多くは高齢者だ。新しいリーダーにはなにより早くも靖国問題を解決して欲しい。
天皇陛下が靖国神社にお参りできる環境に戻すことは、簡素な行政手続きと、新しいリーダーの勇気だけで可能なのだから。