テレビ会議映像問題 東電はメディアをなめ切っている(木野 龍逸)
7月27日に東電は、国会事故調の参考人招致で存在が明らかになったテレビ会議映像の公開を発表した。テレビ会議システムは東電本店、福島第一・第二原発、柏崎刈羽原発などを結んでおり、昨年3月11日の事故直後から重要な情報伝達手段になっていた。昨年3月15日未明に菅前首相が東電本店に乗り込んだ際のデータも含まれる。事故の重要な情報であるため、東電会見では繰り返し、データの公開を求める声が上がっていた。しかし東電は、社内資料であることや、映像に映っている社員のプライバシーの保護などを理由に公開を拒否してきた。
一方で所管大臣である枝野大臣は会見や国会答弁で、東電がテレビ会議データを公開するのは当然であるという主旨の発言をしていた。こうしたことを受けて東電はデータ公開を決めたが、今度は公開方法を巡って批判が噴出している。なにしろ制約が多すぎる上、東電が決めたルールに従わない場合は記者会見への出席を禁止するという一文まで記載されていたのだ(トップ画像)。
東電の公開方法を要約すると、以下のようなものになる。
・公開するデータの期間は3月11日から15日の分のみ。それ以降については検討する
・映像データを視聴できる期間は8月6日から10日。視聴は東電本店に視聴室を用意するので、そこに設置したパソコンで見ること。
・映像や音声の録音、録画、配信は禁止。ICレコーダーやカメラなどの機材は持ち込み禁止。
そして前述したように、東電はこうした条件に同意して署名することを求め、不同意の場合は視聴室への入室を禁止し、事前に決めたルールに違反した場合には記者会見への参加を禁止するという一文を明記した。加えて同意書の2枚目には、「当社および各事故検証委員会では、テレビ会議の録画映像はもとより、その他の資料等を踏まえた調査・検証を行っています。報道にあたりましても、総合的なご検討、ご判断をいただきますようお願い申し上げます」と記述。報道機関による検証を抑圧するような文言を付している。フリージャーナリストからは、恫喝的ではないかという声も出ている。
これに対して、東電に対する株主代表訴訟を起こしてテレビ会議映像を含む証拠の保全を求めている原告や弁護士らは7月30日に記者会見を開き、東電の公開方法は「公開とは名ばかりの事実上の非公開決定であるといわざるを得ません」(会見時の配布文書より)と批判したうえで、東電を所管する枝野大臣に対し、公開方法の改善を東電に指導することなどを強く求めた。さらに会見では弁護団の海渡雄一弁護士から、この公開方法への対応は「国民から知る権利の付託を受けている報道機関の姿勢も問われている。検証に値する公開になるように(報道機関からも)意見を述べて欲しい」という要望が出た。
この会見の直前、枝野経産大臣は東電に対し、文書で大臣支持を伝達。その内容は以下の3点だった。
1)公開対象となっている映像について、求める者はすべての映像を閲覧することが十分可能なよう、公開期間を確保すること。
2)公開の対象となる映像、公開に際しての具体的な手法(一度に視聴可能な 人数等)について、報道関係者の意見も踏まえ、適切かつ柔軟に対応するこ と。
3)別途、証拠保全申請がなされていることにも鑑み、公開期間終了後も、東京電力において録画映像を処分しないこと。
http://www.meti.go.jp/press/2012/07/20120730002/20120730002.pdf
会見直前にこの指示を電話で聞いた海渡弁護士は、会見で、「東電がどういう対応をするかだが、異常な名ばかり公開は避けられるのではないかと思うが、懸念は残る」と述べた。その懸念は、予想通り残った。
31日の定例会見で東電広報部の栗田課長は、大臣指示を受けたことでの見直しを発表。しかし公開方法の修正は、それまで5日間だった公開期間を1か月に延ばすこと、視聴するためのパソコンが各社(フリーは1人)1台だったのを在京大手メディアに限って2台にするなどという、およそ本筋とは関係のない部分に限った。株主代表訴訟の弁護団が指摘した、意味のない公開期間の制限の撤廃をはじめ、録音録画禁止、同意書への署名などは撤廃されずにそのまま残っていた。東電は所管大臣の指示があっても、法律に基づかないものであるなら、必要以上に対応する必要はないと考えているのかもしれない。
このため記者会見では、朝日新聞の記者から強い口調で撤回を要請する抗議があったほか、フリーランスのまさのあつこ氏、上出義樹氏、ニコ生の七尾功氏らから批判が続出した。とはいえこの日は他社記者から東電の対応を批判する声はなかっただけでなく、日経新聞記者が「公開時間長くなって、席が増えて、個人的な感想では、意見が聞き入れられたと私は思っている」と発言するなど、東電のやり方をそのまま承諾するような雰囲気があった。
そんな会見を受けた翌8月1日の朝にネットの記事を拾うと、次のようなものが見つかった。
東電、テレビ会議公開期間を延長(7月31日 日経新聞電子版)
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG3104L_R30C12A7CR8000/
共同通信のストレートニュースだが、記事の掲載は各社の判断だ。前日の記者の思いが伝わったのだろうか。
一方で時事通信は「録画・録音禁止が条件=事故後のテレビ会議映像公開」という見出しで配信。公開条件を列記したうえで、最後に「報道規制に当たるとして、批判の声が上がったが、東電は会見を打ち切った」と指摘した。
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2012073101373
各社の姿勢に大きな隔たりがあるのがよくわかる。しかし31日の会見では、面と向かって異議を唱えた大手メディアは朝日新聞だけで、個人的には、これは非常に残念なことだった。昨年3月、故・日隅一雄さんと話していたことが思い出された。
事故から間もない昨年3月17日以来、僕と、友達で弁護士をしている日隅一雄さんは連日、東電会見に通い詰めた。その中で問題だと感じていたのは、東電の情報非公開姿勢はもちろんだが、会見場の雰囲気もだった。情報を出さない東電に対して詰め寄る姿勢がほとんど見られなかったのだ。後になって聞くと、僕たちが参加した頃には疲労も出ていたという話もあったが、それにしてもおとなしかった。
3月下旬には武藤副社長が定例会見をするようになったが、質問に対してまったく関係のない回答をし続けるという不誠実な対応が続いた。それでも大手メディアはあまり厳しく追求をせず、武藤副社長の言葉を受け入れていたように見えた。あるとき、赤旗記者から「最悪のシナリオとは何か」という質問が出た。武藤副社長の回答は「とにかく水を入れ続けて冷やすことが重要」というものだった。武藤副社長は答えにくい質問に対してよく、このフレーズを使っていた。
ここで日隅さんが立ち上がり、「回答になっていない」と大声を上げたのだった。これに大手メディア記者も続き、この時は一瞬だけ、会見場の記者の思いが一体になった感があった。しかし会見は打ち切られ、その後の会見はまた同じような受け入れ姿勢が強くなった。日隅さんと僕は、会見場の雰囲気が変わって東電を追い詰めるようになったら、もう会見に来なくていいよね、と言っていた。けれどもそうはならず、結局、僕は2012年6月27日に出入り禁止になるまで通い続け、日隅さんは途上で亡くなった。
日隅さんが残念がっていたのは、今も以前も、記者会見場が追求の場になっていないことだった。日隅さんとの共著「検証 福島原発事故・記者会見」(岩波書店 http://amzn.to/LbBMOU)にも書いたが、事故時の記者会見は情報公開を迫る場所であるべきだと思う。追求が続いて企業が根負けすれば情報は出てくる。東電会見でもそうしたことはあった。また責任者を要求し続ければ、実現することもある。しかしこうした追求がないと、会見場は事故の原因企業に仕切られ、情報が隠蔽される可能性がある。東電会見はまさにそうした状況になっていった。
今回、東電がテレビ会議映像を出さないとした理由は、社員のプライバシー保護だった。公開にあたっても、視聴室で見るもの以外に東電が編集した映像を配布する場合、映像にはピー音やボカシを入れて社員のプライバシーを保護するという。ちなみに緊急事態の中でのプライバシーとは何なのかを記者会見で聞くと、「社員がどのような格好で寝ているかわからない」という回答があった(僕が会見に出ていた6月頃の質疑)。
しかし緊急事態の中で何がプライバシーにあたるかは東電が判断するものではなく、情報を伝達する中で判断されるべきものではないか。しかも今回は広範囲を放射性物質で汚染した世界史に残る重大事故の検証という、公益に関わる映像だ。この公益は個人のプライバシーに優先するのではないだろうか。それに突き詰めれば、プライバシーが保護されるべきかどうかを最後に判断するのは裁判所だ。東電は裁判所ではない。
報道機関にしても、ぜんぶで数百時間に及ぶ配布映像を無制限に出すわけではなかろう。まずはすべての映像データを配布し、きちんと検証できる状況を作るべきだと思う。公益性の観点でいえば、すでに3兆円を越える税金が入り国が過半数の議決権を握っている東電の情報は、国民の財産といえる。だから東電の情報公開基準は、国の機関に準ずるべきであろう。(もっとも枝野大臣は、東電に情報公開法を適用する枠組みまでは考えていないようだ)
巨大事故から1年5か月が経つこの時期に出てきたテレビ会議映像の公開方法をそのまま飲むかどうかは、原発事故検証の行方はもちろん、東電に関係する様々な情報が公開されるかどうか、今後の大きな試金石といっていい。
それだけに、東電は必死に情報を隠蔽しようとするだろう。そんな東電の姿勢に対抗するには、大手メディアもフリーランスも関係なく、すべての記者が東電に要求を続けていくしかない。日頃の恨み辛みもあるだろうが、福島の原発事故が抱える闇に比べれば些末に過ぎない。ここで東電に押し切られると、これから続く数十年の事故収束作業や、東電の経営状況に関する情報が、闇に葬られる可能性が懸念される。それは、数兆円に及ぶ税金の使途が事実上検証不可能になることをも意味するのではないだろうか。
【ブログ「キノリュウが行く」より】