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金正恩訪中の前兆? (辺 真一)

中国の王家瑞共産党対外連絡部長が昨日、電撃訪朝した。「電撃」と表現したのは、朝鮮中央通信が発表するまで北京駐在の外国のどのメディアも事前にキャッチできなかったからだ。

王部長は、北朝鮮にとっては金正恩体制になってからの最初の外国からの賓客となった。

興味深いのは、治安を担当する北朝鮮の李明秀人民保安相の帰国後に訪朝したことだ。李人民保安相は、訪中した当日の24日には中国の孟建柱公安部長と会談し、28日に帰国している。脱北者問題の討議が目的ならば、おそらく非公開扱いにしたはずだ。まして、4泊5日とは長い。

李保安相は18人いる政治局員の一人である。政治局員クラスになると、胡錦濤主席と会って不思議ではないのだが、今回は「表敬訪問した」との報道はない。訪中した当日に周永康政治局常務委員(公安担当書記)に挨拶しているが、ちなみに周永康政治局常務委員は2010年10月の労働党創建65周年に訪朝した際には金正日総書記と会談している。

王家瑞共産党部長も、訪朝したその日(30日)にカウンターパトナーの金英日書記(国際担当)と会談している。中朝間の外交窓口は朝鮮労働党国際部と中国共産党対外連絡部が務めていることから両者間で首脳外交に向けた最終調整が行われている可能性も否定できない。

李保安相の訪中目的も、また王部長の訪朝目的についても中朝の公式メディアは一切触れてないが、韓国では金正恩訪中絡みではないかとの見方が支配的だ。

李人民保安相は、金正恩氏が視察に訪れる場所の治安状況のチェックや警備に関する中国側の説明を受けるための訪中で、また王部長は、胡錦濤主席からの正式な招待状を持参するためのものとの分析だ。

仮に、金正恩第一書記の訪中となれば、2000年になってから北朝鮮の最高指導者の訪中は2000年5月、2001年1月、2004年4月、2006年1月、2010年5月、2010年8月、2011年5月の7回、死去(12月)する3か月前の2011年8月の訪露の帰途の訪中を含めると、合計で8回も中国を訪れたことになる。

これに対して中国の最高首脳の訪朝はたったの2回だ。2001年9月に江沢民主席が、2005年10月に胡錦濤主席がそれぞれ1回づつ訪朝したのみだ。

No.2の相互訪問を比較しても、北朝鮮からは金永南最高人民会議議長が2004年10月と2008年8月の2度訪中しているが、温家宝首相は2009年10月の1回のみだ。

外交とは、大国と小国との関係であっても、対等でなければならない。ました、首脳同士の訪問は相互主義に基づいて行われるものだ。従って、順番からすれば、今回は、胡錦濤主席が訪朝しなければならない。まして、胡主席は今年3月に核安全サミットへの出席とはいえ、韓国を訪問しているのに同盟国の北朝鮮には7年近くも行ってない、どう考えても、尋常ではない。ということで、今年11月で任期を終える胡主席の訪朝の可能性は全くないのだろうか?

仮に今回も、金正恩氏の訪朝となれば、これはまさに北朝鮮による中国詣で、中国による北朝鮮従属の象徴的な出来事として将来、記録されるかもしれない。

それでも、過去のケースだと、金正日総書記が外遊した後に大きな出来事が起きたものだ。2000年5月の訪中後には史上初の南北首脳会談(6月15日)が行われ、2002年8月の訪ロ後には歴史的な日朝首脳会談(9月17日)が開かれている。

さらに2004年4月の訪中後には小泉総理の訪朝による2度目の日朝首脳会談(5月22日)があった。

ということは、外交的に何か画期的な出来事が起こる可能性も全くゼロではないが、今回は、初の訪中ということもあって、お披露目と経済援助と名のご祝儀を頂戴するのが主な目的ではないだろうか。

【ブログ「ぴょんの秘話」より】