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首相官邸前デモが日本を変える!?(大貫 康雄)

民主主義を向上させる反原発デモ

今年3月11日以来、毎週金曜日の夕方、総理官邸前で続く反原発のデモ。この文を書いている時点で5か月になる。6月後半からは参加者が1万人を超え、回を追うごとに増えている。7月29日の日曜には国会を取り囲むデモも実施され数万人が参加した。

デモは、民主主義国家で政府・国会が重要課題について国民の意思を問うことなく、国民の意思とかけ離れた政策や決定をしようとするのに、国民の意思表示の手段として用いられる重要な手段である。また少数者の意見を無視して多数による専制が行われる場合も、反対や抵抗の意思表示をする大事な活動である。

従ってデモをする権利の侵害は民主主義の原則に反し、マトモな民主主義国ではデモは国民の当然の権利とみなされる。

今回の一連のデモには、組織の決定というより自発的に参加する人が相当多い。お年寄りから子供を連れた母親、大学生、サラリーマン……。

初参加の人たちが思い思いの時間に来てデモに合流し、自分の予定に合わせて引き上げる。スローガンも手作り。2回目、3回目の人もいる。

女子学生の数人、「テレビのニュースで、ヨーロッパでは深刻な顔ではなく、話し合い、笑いあいながら反原発デモをしている人がいるのに驚いた。どんな様子か知るために来た。私らと同じような人が多い。東京でも、そんなデモになってきたのかな」と言う。

デモが大規模だと体力が要る。代々木公園での反原発デモ・集会では始まりから神宮前のデモが終わるまで4時間費やした、という人もいた。猛暑の中だけに熱中症を心配してしまう。

大勢の参加者にもかかわらず、一部の暴力行為で混乱を招く事態が起きていない(良く言えば参加者に強い目的意識がある。意地悪に見れば警察が付け入る隙がない)。これまで一人が警察官と押し合いになり公務執行妨害で逮捕されただけ、と聞く。

小泉政権下、イラク戦争への自衛隊派遣問題では、デモ参加者への意図的な逮捕が相次いだと言われるが、警察の対応は以前に比べ丁寧だ、と聞く。今回は午後8時になると警察が拡声器で「時間です。皆さんお帰りを」と促す、という。中には参加者に「御苦労様」とささやく警察官もいた、とも聞く。

日本の警察が治安と共に市民の権利を守るという西側民主主義国の警察のような理念を理解したのか、大勢の市民の迫力に圧倒されただけなのか、それとも政治状況の変化に反応したのか。それが判るのは勿論、今後のことだ。

民主主義・表現の自由の発露の一つであるデモの価値を多くの人たちが見出したことは確かだ。

大規模デモが目立った混乱もなく続く要因として、主催者側が事前に警察と相当の打ち合わせをし、デモの時間や手順を守っていること。非暴力に徹していること。出来るだけ多くの人が参加しやすいよう、無理な日程を組まないこと、などがあげられる。

社会を変えた世界のデモ

大規模な抗議デモが警察と主催者との綿密な交渉を経て無事終了した例がある。

 20031118日から21日にかけて、ブッシュ米大統領がイギリスを公式訪問した時のことだ。イラク戦争に反対するイギリス国民が、ロンドンの中心部、議事堂からハイドパークまでの大規模な抗議デモを計画。

アメリカ側警備担当者は、大統領夫妻から1.5キロ以内のデモを許可しないこと、独自に重火器を所持し使用する権利を認めること、大統領夫妻が泊まるバッキンガム宮殿の壁の厚さをミサイル攻撃に耐えられるよう補強すること、などをイギリス側に求めた。

ロンドン警視庁はアメリカ側の要求を当然のことながら主権を理由に全て拒否。エリザベス女王も、我々には優秀なロンドン警視庁がおり、心配無用、といった、と報道された。

一方でロンドン警視庁とデモの主催者は4日間にわたり、デモの行程などを交渉。警察側が議事堂周辺の道順など一部変更を要求したが、デモの主催者たちは計画通りを主張。民主主義の象徴の議事堂前から首相官邸脇、(意見表明自由の歴史的逸話のある)トラファルガー広場からバッキンガム宮殿に近い繁華街をハイドパークまで辿る道順を譲らず。

警察は主催者を信頼し、また自らの警備能力にも自信があった。デモ行進には有名な映画監督や与党・労働党の議員らも参加して主催者の予定通りに大規模の抗議デモが行われ、無事終了した。テレビで世界中に報道されたので知る人も多いだろう。

 

一過性で終わらせることなく繰り返し続けて目的を達成したデモもある。

旧東ドイツ崩壊からベルリンの壁崩壊、そして冷戦終焉へと続く激動の導火線となり、世界史に残るといわれるデモ。

旧東ドイツの地方都市ライプツィヒにあるバッハゆかりの聖ニコライ教会。

ここでは牧師の呼びかけで1982年9月から毎週月曜日、「平和の祈り」の後、ライプツィヒ中心部のデモ行進を始めた。初めは400~500人程度だった。

それが寒い冬であれ、雨の日であれ、夏であれ月曜デモは続ける度に次第に参加者の数が増えていく。

89年10月9日、人口50万人余のライプツィヒで、7万人が参加する大規模デモとなる。しかし、警備当局は一発の銃弾も発せずデモは平和裏に終わる。

これが6日前の10月3日、建国40周年式典を大々的に行ったホーネッカー書記長には大打撃となる。ホーネッカーは徹底弾圧の方針だったが、地元当局者は命令を無視し、市民との交渉を選んだ。

世界的に著名なゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者クルト・マズアなどが弾圧に強く反対したことなどもあった。

その後、ホーネッカーは失脚東独は急速に崩壊に向かう。11月9日、ベルリンの壁が崩壊。ヨーロッパは冷戦の終焉、1年以内にドイツ再統一と大きく転換する。月曜デモを続け「平和革命」の発火点となったライプツィヒは「英雄都市」と呼ばれる。

 

ドイツの脱原発政策実現の背景にも継続したデモがあった。前回お話ししたメルケル政権の“脱原発までの期間大幅延長”の政策に対して、一昨年の秋以降、ドイツ各地でデモが続けられ、多くの国民が強い反対の意思表示をした。

緑の党の議員たちも議会活動だけでなく、デモの先頭に立っている。より多くの国民の問題意識を深めていた。フクシマの事故を受け、メルケル首相が急きょ、自らの方針を転換し、改めて2022年までに脱原発との決定をしたのも、広範で継続したデモで圧力をかけた国民の意思を無視できなかったためだ。

NHKも無視できなくなった反原発デモ

日本の金曜デモの推進母体となったのが、首都圏反原発連合の人たちだ。首都圏各地でデモや集会を主催する団体や人たちが力を合わせようとネットワークを作ったのが2011年9月。

以来、10月22日、アメリカの「反核連合」に連携して「原発のない日本を目指すデモ」を実施。2012年1月14日には、横浜での「脱原発世界会議2012YOKOHAMA」と連動したデモ行進を横浜で行っている。

東日本大震災、原発事故から1年となった3月11日には犠牲者の追悼と原発事故への抗議を兼ねて国会周辺を、灯を掲げて囲む大規模デモを実施した。

原発事故は未だに収束も原因究明も出来ず、被害者の救済も進まないまま。それなのに国民の懸念の声を無視するように大飯原発の再稼働に向かう野田政権。金曜夕方のデモは、それに対する抗議の意思表示として始められている。

当初の参加者は、多い時間帯で1000人前後と記憶する(ベトナム戦争の当時、作家・小田実さんたちが関西で始めたデモは、当初、確か数人だけだったと小田さんが語っている。それが続けるうちに次第に参加する人たちが増えていく。後には全国的な運動「べ平連」となったのを想起させる。今回の反原発デモは政治的に遥かに大きな影響を及ぼす可能性がある)。

既に反原発デモは全国各地にも伝播、ここ数十年、日本に見られなかった広がりを見せている。

原発問題が生命、人権、環境と様々な問題と関係し、国境を超え、世代を超えた問題であるのを表し、オランダ、ドイツ、フランス、アメリカなど海外の反原発、環境保全、人権擁護などを進める団体や議員から賛同や連帯の声明が寄せられている。今月はドイツ緑の党の議員も来日してデモに参加している。

 

多くの人が立ち上がり、声が大きくなるにつれ、マスコミが報道をするようになった。新聞各紙も徐々にデモの扱いが大きく、第1面にのるようになった。NHKは当初、反原発デモや集会の多くを無視するか、報じても主要ニュース時間に大きく取り上げてこなかった。

それは公共放送の存在意義を自ら否定する。また、そんなNHKの姿勢に相当多くの抗議の声が寄せられたと聞く。そのせいか、6月後半から反原発デモを報道する機会も増えている。これが、問題の重要性を理解した上で、なのか、人々が少なくなれば再び無視していくのかは判らない。すべては人々次第、と言える。

総理官邸前のデモを国民の声でなく“大きな音“と騒音視した野田総理の不見識は別にして、政治家も影響されるようになった。

鳩山元総理が総理官邸前に来てデモ参加者に連帯する意思を表明した。29日の国会を取り囲むデモには民主党の川内博史議員らも見えたが、デモ参加者から民主党の責任を問う叱声を浴びせられたとインターネットが伝えた。

川内議員は一貫して原発・放射能問題で管・前政権、野田・現政権の方針を批判し、より真剣に対応してきた。しかし今回、野田政権の与党民主党の議員というだけで、デモ参加者に批判された。辛いところだろうが、そこまで人々の問題意識が深くなっていると見ることもできる。

マスメディアが川内議員の活動をきちんと報じていれば、誤解も無かったのではないか、と推察する。

市民の強い意志がマスメディアをどこまで動かし、日本の政治をどのように変えるかは今後の問題だ。

人々の声が小さくなれば政治家も関心を失うのか、それとも問題の重要性を理解し、政治活動に反映させるのか、これも今後、人々の動き次第の問題だ。この意味で日本社会は民主主義の原点を理解しつつある。