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小沢一郎にとっての「雌伏20年」の意味(藤本 順一)

「20年の雌伏を乗り越えて政権交代できたのはみなさんの指示のおかげです。原敬以来の真の民主主義を確立するのが私の使命です」

確か、政権交代が成ったばかりの09年9月だったか、当時、民主党幹事長だった小沢一郎「国民の生活が第一」代表は自身の政治資金パーティーでこんな挨拶をした。つい最近のことのようにも思えるが、すでに3年、今や民主党政権は風前の灯火である。

どうしてそうなったのかは、民主党に期待した有権者それぞれに言いたいことはあろう。本欄でもこれまで様々な角度から指摘してきたところである。ただ、だからといって政権交代それ自体が間違いだったとういことにはなるまい。小沢の言う「雌伏20年」をそのまま日本の政治に置き換え、振り返ってみればそうなる。

「雌伏20年」といえば1989年、小沢は47歳の若さで自民党幹事長にまで上り詰めている。いわば権力の絶頂にいたはずの小沢がそれを「雌伏20年」の出発点にしてるのはどういうわけか。本来ならば1994年、自らが手がけた細川連立政権の崩壊が「雌伏」の出発点であってもいいはず。あるいは権力の絶頂に身を置きながら自民党政治の賞味期限切れを肌身で悟り、将来の政界再編の絵柄を描いていたとすれば、小沢はやはり卓越した政治家である。

一方で消費税増税論議や年金破綻に象徴される社会保障制度の改革、その他諸々の今日的なテーマが、その小沢を権力の中枢に戴いた自民党政治の負の遺産であることもまた、紛れもない事実だ。だからこそ小沢は政治制度改革を旗印に掲げて離党し、細川政権下、国民福祉税の創設に動いたのではなかったのか。その小沢が己の「雌伏20年」の原点を忘れ、「民主党は政権交代の原点を忘れた」と野田政権を批判するのもどうだろう。

民主政権は失敗に失敗を重ねてきたが、かといって自民党が政権復帰を果たしたとしても国民が背負わされた負の遺産が帳消しになるわけではない。あるいは国民人気が高いと言われる橋下徹大阪市長が政権を担ったとしても同じこと。とりわけ財政再建は待ったなしだ。借金返済を先送りすれば、金利が嵩むのは道理である。そのうち何とかなるさ、とならないことを、誰よりも小沢が分かっていように。

【東京スポーツ「永田町ワイドショー」7月25日より】