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欧米流のライフスタイルになじむ亡命チベット人第2世代(相馬 勝)

チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世を信奉する中央チベット政府(CTA)のディキ・チョヤン情報・国際関係相(外相に相当)に東京で会った。彼女は7日、都内のホテルで行われたダライ・ラマの77歳の誕生日パーティ(ダライ・ラマの誕生日は7月6日)にCTAを代表して参加するため5日、来日した。東京であいにくの天候だったが、彼女は東京を訪問する前に、台湾、韓国と回ってきたという。CTAの閣僚が主要国で開かれるダライ・ラマの誕生日記念パーティを回るため、それぞれ担当を決めて、各国を訪問したといい、彼女のアジア担当だったという。このほか、米大陸担当と欧州担当の閣僚がそれぞれの国を訪問している。

[caption id="attachment_2086" align=aligncenter width=180] (デッキ・チョヤン氏=facebookから)[/caption]

それはさておき、私が驚いたのは彼女のプロフィールだ。彼女は1959年にダライ・ラマがインドに亡命した際、東チベット(現在の中国の青海、甘粛省)からダライ・ラマを慕って逃げてきた両親とともに、インドに亡命した。いわば、インド亡命チベット人2世だ。

その後、7歳のころ、カナダのモントリオールに移り、そこで育った。これはダライ・ラマが当時のカナダ首相と会談した際、カナダ側がインドのチベット人難民数百人を受け入れることに同意したためで、彼女の家族はカナダ亡命の第一陣となった。

小さい頃から成績優秀だった彼女は「カナダのハーバード大」と呼ばれるマギル大学で国際ビジネスとマーケティングの学士号を取得。その後、米国のインディアナ大学及びカナダのゲルフ大学で、それぞれ、中央ユーラシア研究と計画・国際開発の修士号を取得。専門は東チベットにおけるチベット人向けの中等・高等教育だという。

[caption id="attachment_2087" align=aligncenter width=480] (都内で行われたダライ・ラマ14世誕生日記念パーティ=筆者撮影)[/caption]

この専門から、中国語を学ぶ必要があり、1994年から1年間、北京に中国語の語学留学をしたほか、ニューヨークの研究機関から派遣される形で、1999年から4年間、「私の生まれ故郷であり、両親の故郷でもある東チベット(中国青海・甘粛省)で4年間、研究生活を送った」とチョヤンさんは語る。この4年間の滞在で、チベット語の方言であるアムド方言も学んだという。 「地元のチベット人にいろいろと話しかけたが、彼らは外国人には何も話したがらなかった。『中国政府から話すなと言われている』と語っていた。厳しく抑圧されていると感じた」とチョヤンさんは率直に語った。

実は、彼女はこの研究機関で働く前は、年間売り上げ2000億円の企業の幹部だった。英語に加えて、フランス語も流暢だ。さらに、中国語(北京語)とチベット語、そのアムド方言とマルチリンガルである。

[caption id="attachment_2088" align=aligncenter width=480] (パーティで披露されたチベット伝統の楽器の演奏会=同)[/caption]

これは、チベットで初の民主選挙でCTAの首相に選ばれたロブサン・センゲ氏も同じである。彼はCTAの奨学金でインドの名門デリー大学を卒業、フルブライト奨学金でハーバード大学に進み、修士、博士課程を経て、同大学ロースクールの上級研究員を務めていた。実は、私がハーバード大学に留学していたころに知り合い、先日来日した際、旧交を温めた。それ以前の昨年8月、彼の首相就任式を取材するため、CTAのあるインド北西部のダラムサラまで行って、彼とダライ・ラマの単独インタビューにも成功した。

この二人に共通するのはアメリカやカナダでの恵まれた生活を捨ててまで、インドの片田舎のダラムサラにあるCTAで働いていることだ。

[caption id="attachment_2089" align=aligncenter width=480] (ロブサン・センゲ氏=ダラムサラで筆者撮影)[/caption]

ちなみに、センゲ首相の月給は367ドル(約3万円)と、インド全体の平均月収の3万ルピー(日本円で約4万5000円)と比べてもきわめて低い水準だ。チョヤン外相の月給はセンゲ氏に比べて20ドル低い347ドル(約2万8千円)だ。「ハーバードの時はもっともらっていた」とセンゲ氏は自虐ネタよろしく、ユーモアを交えてスピーチに織り込むほどで、「別に何とも思っていない。逆に、チベットのために働けて良かった」と二人とも異口同音に語っているほどだ。 二人とも他の欧米人に比べても極めて能力が高く、しかも欧米のライフスタイルに慣れ親しんだ知識人と言えるだろう。実は、彼らのような亡命チベット人第2世代は欧米諸国で数千人が生活している。

チョヤンさんが自身の故郷を見るため、中国に留学し、研究の名目で現地を訪問、たくさんの友人を作ったように、さまざまな国籍を持つ他のチベット人第2世代も同じような経験をしているに違いない。

今後、この世代や第3世代から第2、第3のロブサン・センゲやデッキ・チョヤンが生まれることは想像に難くない。そして、中国の若い世代とさまざまな交流を持つことで、彼らが最終目的とするチベットの自治やダライ・ラマの中国帰還、さらにチベットでの宗教の自由などが早晩実現されると考えるのは、あまりにも楽観的すぎるだろうか?