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AKB選抜総選挙はなぜ盛り上がるのか (上杉 隆)

日本武道館が大歓声に包まれた。アリーナ席のペンライトが左右に激しく揺れる。カメラの放列が盛んにフラッシュを焚き、テレビカメラは巨大スクリーンに涙の笑顔を映し出す。

今年もAKB48の選抜総選挙にやってきた。昨年に引き続き2度目の取材となるが、その圧倒的な雰囲気にはまたしても驚かされるばかりだった。

商業イベントとしてのAKB総選挙は成功に違いないが、そこに至るまでにはいくつもの大きな仕掛けが用意され、日本武道館を若者たちで溢れさせるほどの理由を隠している。

果たしてAKB総選挙が盛り上がる要素は何か?

それが本来の総選挙、つまり、国民の代表で国権の最高機関のメンバーを選ぶ衆議院議員選挙と比較してどう違うのか。

ダイヤモンド・オンラインの筆者コラムの再開にあたって、いまや日本のショービズ界の最強コンテンツと化したAKB選抜総選挙を取り上げてみようと思う。

“生徒”の指原莉乃、峯岸みなみに 教わったAKBの仕組みや考え方

検証の前に、まずは筆者がAKB48を知ったきっかけを説明しよう。

直接のきっかけは『週刊プレイボーイ』の「AKB48でもわかるニュースの言葉」での指原莉乃と峯岸みなみとの連載だ。

筆者が「黒い池上彰」ともいうべき教師役として二人の生徒に、時事問題を教えるというコーナーだが、当の彼女たちからAKBの仕組みや考え方を教えてもらったことがまずは何より大きい。

さらに、その連載の始まる前には産みの親である秋元康氏からも直接話を伺い、さらにもっと古くは『フラッシュ』の青木宏行前編集長や朝日新聞の大西元博氏から、ブレイク前のAKBの存在を教えてもらったという経緯もある。

当時(約4年前)は、まさかこの幼い(としかみえなかった)女の子の集団が日本武道館を溢れ返らせるイベントを開けるようになるとは夢にも思わなかった。

だが、「現実」にそれは起きているのだ。しかも、年々それは拡張していく。その秘密はいったい何か。

東日本大震災、それに続く原発事故の影響などで暗い話題の多い昨今の日本だが、数少ない成功例として、AKB48の存在は経済的な波及効果の点からも、アジア市場への進出からも学ぶべきことがあるはずだ。

なにしろ6月6日の夜には、共同通信が速報を打ち、フジテレビがゴールデンで生中継し、NHKが全国ニュースで取り上げるほどの出来事なのだ。

AKB総選挙はもはや社会現象といってもいいだろう。若者たちを熱狂させ、オリコンチャートを独占し、青少年たちだけではなく、少女たちをも日本武道館に向かわせ熱狂させるその理由は何か。

もちろん偶然の人気だけではない。そこには周到な戦略が組み込まれている。

今回はその謎を5つだけ抽出し、筆者なりの解説を加え、総選挙を分析してみようと思う。

1、メンバー選抜基準の妙

まずはAKBのメンバー(研究生)になれる条件(要素)がよく練れている。発足当初、彼女たちを選ぶ基準の一つは「クラスのどこにでもいる、たとえば5、6番目に可愛い女の子」というものだった。

これまでのアイドル選抜とは決定的に違うのがここだ。クラスで一番綺麗な子ではないことに隠されたその意味は、親しみやすさをもたらすと同時に「もしかして僕の彼女に…」というファン心理の可能性を巧みに突いた見事な戦術である。

また、それは男子ファンだけではなく、女子に対しても当てはまる。「私もAKBになれるかも」という夢を広げる効果をもたらし、男女にまたがるファン層獲得を可能にしたのだろう。今回4位となった指原が「私でも4位になれたんです」と自虐的に演説したのがまさしく象徴的だ。

2、個と規律

規律の中に個性を自由に発露させる雰囲気ができている。一見、好き勝手にさせている感のあるAKBだが、そこはアイドル、やはり私生活も管理されている。その健全性は退屈さと隣り合わせだが、そこは巧くファンの多様な価値観をすくい上げる仕掛けが隠されている。

たとえば、メンバーは(自然な)黒髪が原則だが、CMなどに多く出演している板野友美だけには「茶髪」を許している、というように柔軟な対応を行っているのだ。こうした戦術がある程度の多様性を生んで、ファン層の拡大に寄与していると筆者はみている。

統一された中にある自由こそ、強烈な個性として輝くことを意識した戦略であり、他のアイドルグループと違う点になっているのだろう。

3、演説の巧みさ

多様な個性ということにも関連するが、AKBは人数も多いということもあって(今回は総選挙に選ばれたメンバーだけでも64人)、その発言に関しては基本的に自由放任主義を採用している。だからこそ今回の総選挙イベントのように、地上波テレビで各メンバーのアドリブ発言を生放送するということが可能になっているのだろう。

これは、過去の女性アイドルのビジネススタイルとは一線を画すやり方だ。男性アイドルではSMAPなどの例があるが、失言一つで終わってしまう女性タレントの場合ではリスクが大きい。だが、AKBはそれを続けている。

指原、峯岸という二人の生徒との連載を続ける中で筆者が驚いたのはこの点だった。連載開始当時、まだ現役高校生だった二人との会話はすべてアドリブである。「週刊プレイボーイ」編集部が気を効かせて文言を修正しようとすると、きまって(とくに指原だが)「私、こんな風に話していません」と主張するほどだ。

今回の総選挙の各メンバーの演説でもそれは随所に見られた。家族とのやり取りを笑いにした宮澤佐江、自らの順位をネタにした峯岸もそうだろう。20代前後の少女たちが自己を突き放して客観性を持たせて話す様は、本業である政治家に見習わせたいほどだ。

各々が自分の言葉で話す、欧米では当たり前で日本には存在しなかったそのスタイルがようやくAKBとともに到来したということだろうか。

4、歓喜と残酷さ

ショーとしての総選挙ほど見事なものはない。一喜一憂する少女たちを順位づけて戦わせて商品にしているという批判は否定しないが、それはどの世界にもあることだ。むしろそうした競争を無意味に避ける日本社会の現状こそを筆者は憂う。

さて、その戦略の巧みさはCDを買わなければ総選挙で投票できないというしくみだけではなく、順位づけによるメンバー間の競争を煽っているという点だ。悪い意味ではない。競争はときに感動さえ生む。

曲を歌える選抜メンバーの決定(シングル選抜)などは、その後一年間の仕事量に影響を与えるこの方式ゆえに、メンバーたちも真剣にならざるを得なくなり、順位の発表とともに涙を流すというシーンをお茶の間に提供することになるのだ。シングル選抜順位の境界の発表では歓喜のみならず、ギリギリで落選した少女たちの残酷な涙をも眺めることもできるのだ。

それは彼女たちを支えるファンにも、自らの「オシメン」(一押しのメンバー)を当選させるためにお小遣いをつぎ込むという連鎖現象を生み出し(投票のためにひとりで数百枚のCDを買うファンもいる)、歓喜や残酷さを共有することで、ともに共感できるという現実を作り出したのだ。

ここまでAKBメンバー個人の資質などから論じてみたが、最後にそれを支えるシステム、もしくは商業モデルとしての巧みさについて一部考察してみよう。

5、洗練されたメディア戦略

AKBの地方進出の成果が出たのが今回の総選挙だろう。なんといっても特筆すべきはSKE48(名古屋)の躍進だ。名古屋からは64人中15人が当選し、現職の大村秀章県知事がすぐにメディアにコメントを寄せたことからも、AKB現象が東京発だけではなく地方に広がっている現実を見せつけた。

こうした地方戦略はさらに拡張路線を敷いているようだ。今回選出メンバーの生まれたNMB48(大阪)、HKT48(福岡)のみならず、さらに各地方都市やあるいはアジア諸国へもその方式を「輸出」しようとしている。

東京と地方のこの種の競争心をさらに焚き付けたのが「中間順位速報」というメディア戦術の導入である。これによって、多くのファンが地元のメンバーを応援するためCD購入に走ったという話も漏れ伝わってきた。メンバー個人だけではなく、チーム自体を競わせる方法もAKB総選挙熱狂のカギのひとつかもしれない。

最後に、AKBの露出についての戦略についても少しだけ触れておかなければならない。

AKBのメディア戦略の最大の特徴は、テレビ局や出版社など登場するメディアを分散させていると同時に、個々のメンバーの所属事務所をも分散させていることだろう。

前者のメディア分散はジャニーズの採用した方式で成功を収めたが、後者の事務所分散はさらに進化したメディア戦略だ。

これによってAKBは緩やかに日本のメディアを支配し、圧倒的な力をつけた。

筆者はその善悪については問わない。それが現実であるし、また生き馬の目を抜くショービズの世界では当たり前の現実だ。

むしろ筆者は、日本武道館を埋め尽くし、NHKがニュースで報じるAKBという社会現象の熱狂の謎を知りたいと思うだけだ。

日本の政治も、メディアも、20代前後の彼女たちに明らかに後れを取っている。その現実を直視するためにも、政治家や記者たちは、一度AKBの総選挙に足を運ぶか、あるいは「週刊プレイボーイ」(集英社)を購読してみたらどうだろうか。

少なくとも、その雰囲気を肌で感じ、彼女たちの声を聴くだけで、いまの日本の澱んだ権力システムにはない、そして自分たちにはない何かを一つくらいは発見できるはずだろう。

 

ダイアモンドオンライン週間上杉隆【第1回】 2012年6月7日