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小沢一郎無罪 日本の狂騒と私の誤報(上杉隆)

果たして、2009年3月3日の小沢秘書逮捕に端を発した日本の「狂騒」はいったいなんだったのか。この三年間の過ちを政界、官界、メディア界はどうやって総括するつもりか?

仮に、この「狂騒」がなかったら、2009年9月には小沢さんは首相になっていたに違いない。そうした意味でも、この「狂騒」は、日本という国家と日本国民全員にとっても無関係ではいられないものなのである。

先ほど東京地裁で、小沢一郎民主党元代表に無罪判決が下った。これで、政治資金規正法違反に問われた一連の小沢氏の「政治とカネ」の問題については、いったん区切りがついた格好だ。

先月末、朝日ニュースター「ニュースの深層」の最終回に、私は小沢さんを招いた。6年間に及ぶテレビキャスター生活の最後のゲストとして、私はどうしても彼を呼びたかったのだ。

「私が担当するニュースの深層、6年間やってまいりましたが、今日が最終回となります。最終回は日本の言論空間にとって、ある意味、象徴的なこの方を是非ということで、お招きしました」

当日、私はこう語って最後の生放送の司会を始めた。なぜ小沢さんを最後のゲストに呼んだのか。

それは、3年前の3月4日、大久保秘書の逮捕の翌日、「政治資金収支報告書」の献金者記載の漏れを指摘した私の質問が端緒として、その後の「小沢疑惑」が加速したのではないかという自己認識がずっと引っかかっていたという理由もある。

また、その週末に出演した「新報道2001」(フジテレビ)の番組で、匿名で捜査を始める検察幹部を名指しで批判し、それをきっかけに私自身のジャーナリスト生活にも大きな影響があったという経緯もある。たとえば、都内のJR線や私鉄・地下鉄への乗車取り止め、飲酒の禁止などを開始せざるをえなくなったのもそれがきっかけだ。

さらに翌年、石川知裕衆議院議員の女性秘書への非人道的な捜査を「週刊朝日」紙上で連載したことから、立花隆氏や池田信夫氏などメディア界の先輩や大手メディアと論調を異にする「論争」が始まったのもそうだ。

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