佐野稔のフィギュアスケート4回転トーク/ソチ五輪特別編パート② 快挙達成!羽生金メダルの要因は、ハイリスクに打ち克ったスタミナ
●ついにこの日が! 1年前では想像つかなかった羽生の金メダル
やりました。見事やってくれました! もちろん羽生結弦が本命ではあったんですけど、いざこうして日本人男子が五輪の頂点に立つ姿を目のあたりにすると、やはり感慨深いものがあります。前回のバンクーバー五輪で髙橋大輔が銅メダルを獲得。日本人男子で初めて表彰台に立ってくれたことで、「次はその上。金メダルも狙える時代が来たぞ」と思ったのは事実ですが、それがまさか、次の大会で現実のものになるとは…。その意味で「こんなにも早く、この日が来るとは思わなかった」といった気持ちもあります。私たち日本の男子フィギュアに携わった、すべての人の夢をかなえてくれた羽生には、心からの賛辞と拍手を送りたい。
羽生の最大の勝因は「スタミナ」だったと、私は考えています。フリーでは、2度のトリプル・アクセルを含めて、3回転以上のジャンプを7度も、プログラムの後半に集中して組み込んだ。無謀と言ってもいいくらい。ほかの誰にも真似できない、過酷なプログラムです。後半のジャンプは基礎点が1.1倍になる現在のルールは、選手に過酷な要求をしています。言わば「ハイリスク・ハイリターン」です。そのなかで、羽生は「ハイリスク」は物ともせずに克服して、「ハイリターン」のほうだけを手に入れることに成功した。コーチのブライアン・オーサーをはじめとする、羽生陣営の作戦勝ちだったとも言えます。やはりブライアン・オーサーが指導するハビエル・フェルナンデス(スペイン)のプログラム構成を見ても、その傾向は見てとれました。ですが、その作戦を遂行するためには、相当な「スタミナ」が必要とされます。
世界選手権に初出場した2年前、羽生はいきなり3位になって脚光を浴びましたが、そのときのフリーの後半は‘疲労困憊’。正直に言えば、ほかの選手の出来の悪さも手伝っての世界3位で、少なくとも「スタミナ」を感じさせる選手ではありませんでした。昨シーズンの終盤も、体調不良や左ヒザの故障に苦しむことになりました。おそらく本人も期するところがあったのでしょう。今シーズンに入ってからの羽生が見せてきた演技後半の爆発力は、1年前とはまるで別人でした。その裏側には、それを支える相当なトレーニングがあったはずです。想像を絶するような努力の積み重ねがなければ、あれほどのプログラムには挑戦できません。さらには去年12月のGPファイナルでパトリック・チャン(カナダ)に勝った精神的な優位もあり、SP(ショート・プログラム)の段階から自信に満ち溢れていた。ひとりの選手がわずかな期間に、これほど飛躍的な成長を遂げるものなのかと、驚かされるばかりです。
●「銅メダル」争いの緊張感が伝播 呑み込まれたパトリック・チャン
初日のSPが終わった時点で、羽生とチャンの金メダル争い。そして、3位のフェルナンデスから11位の町田樹まで、わずか3.50点差の間にひしめき合った9選手による銅メダル争い。戦いの構図はこのふたつに絞られました。銅メダルについては、どの選手が獲ってもおかしくはなかった(実際、今季明らかに不調だったカザフスタンのデニス・デンが、SPの9位から大幅に順位を上げて3位になりました)。その熾烈なせめぎ合いが、大会全体にものすごい緊張感をもたらすことになりました。SPでは各選手とも素晴らしい滑りを披露して、ひじょうに質の高い五輪でした。ところが、フリーになると、みんな「ガチガチ」。プレッシャーに束縛されてミスの連発になったのです。
試合後に、本人が「自分のスケートはできなかった」と話していたように、4回転サルコゥで転倒したり、トリプル・フィリップで手をついたり。羽生の演技にもミスが目立ち、けっして良い出来ではなかった。羽生の次の滑走順だったチャンは、それを見て楽になるはずの展開でした。ところが、大会全体の空気が伝播したのか。かえって自分を追い込んでしまい堅くなっていた。冒頭の4回転-3回転のコンビネーションジャンプをチャンが成功させたときは、「羽生危うし」とも思ったのですが、そこからアクセル・ジャンプのミスを連発した。チャン本来の実力からすれば、あれだけミスをくり返すことはあり得ません。もしかすると、直前の羽生の滑りを見たことで「逆転のチャンスだ」と、かえって平常心を失ったのかもしれない。羽生の出来がもっと良ければ、チャンの滑りも、また違った内容になっていたのかもしれません。そればかりは、誰にも分からないところです。
じつは、カナダ歴代の名スケーターたちは、ことごとく五輪で金メダルを逃してきた過去があります。88年のカルガリー五輪で、アメリカのブライアン・ボイタノとの「ブライアン対決」に敗れたブライアン・オーサー。世界選手権に3度の優勝をしながら、五輪ではリレハンメル、長野大会とも銀メダルに終わったエルビス・ストイコ。やはり3連覇を含む4度の世界選手権を制しながら、五輪のメダルには縁がなかったカート・ブラウニング…。チャン本人は意識していなくても、カナダスケート界の「今度こそは」といった悲願や期待が、どこかで重圧になって働いていたのかもしれません。SPでのトリプル・アクセルの失敗に始まり、今大会の彼は「アクセルの神様」から見放されていた。そう言いたくなるような、パトリック・チャンのソチ五輪でした。
●色褪せない髙橋の功績 町田には4年後の大黒柱を期待
フリーが始まる前の段階では、銅メダルの可能性が充分にあった髙橋大輔、町田樹でしたが、髙橋は冒頭の4回転トゥループで両足着氷、その後も巻き返すことはできなかった。町田もコンビネーションでの4回転ジャンプには成功したものの、冒頭の4回転での転倒が響いてメダル獲得はなりませんでした。チャン同様に、この両選手も銅メダル争いの緊張感の渦に巻き込まれてしまった、と言えるかもしれません。
髙橋については、最初から最後まで4回転ジャンプに自信が持てていないように映りました。髙橋の性格を考えたら、窮地に追い込まれたときほど、むしろ意地になっても攻めに出るはずなのですが、その様子も感じられなかった。もしかすると、コンディションを含めて、それができないほど、状態が良くなかったのかもしれません。本人は、このソチ五輪で競技生活から引退することを公言していますが、悔しさの残る最後の大会になってしまいました。
とはいえ、髙橋大輔が日本の男子フィギュア界をここまで引っ張って来てくれたことは、紛れもない事実です。素晴らしい重責を担ってくれました。彼の築いてきた功績が、この五輪の結果で色褪せることはありません。髙橋が五輪でメダルを獲るための方法を、日本の男子フィギュア界に示してくれたのです。世界選手権での優勝、つまりは世界の頂点に立つ方法も、髙橋が示してくれました。髙橋が道を切り拓いてくれていなかったら、このソチ五輪での羽生の金メダルもなかったはずです。本当にご苦労さまでした―。いま彼に贈る言葉は、それ以外に見つかりません。
惜しくも表彰台には届かなかった町田も、ソチが「最初で最後の五輪になる」といった主旨の発言をしているようですが、せっかく世界の頂点が見える位置まで来たのです。私としては、ぜひ4年後の平昌(ピョンチャン)五輪に、もう1度挑戦して欲しい。おそらく彼は今回、五輪の凄さを感じたはずです。五輪ならではの悔しさも身に染みたはずです。町田はまだ23歳です。彼にとっての憧れの存在である髙橋が、27歳まで世界の第一線で戦い続ける姿を間近で見てきた。年齢が下の羽生に、先に金メダルを獲られました。「このまま辞めるわけにはいかない」といった気持ちに町田がなっても、なんら不思議はありません。次回の五輪では、日本の大黒柱として男子フィギュアを牽引してもらいたい。それだけの可能性を、今シーズンの彼は見せてくれたのですから。
●プルシェンコ欠場は、団体戦の影響か
最後に、個人シングルを直前になって欠場したエフゲニー・プルシェンコ(ロシア)について触れておきます。前回のコラムで私は「団体戦のフリーの後半、プルシェンコは明らかに力を温存していた」と話しました。SPの直前練習で腰痛の悪化を訴え、棄権を申し出たそうですが、すでに団体戦のフリーの段階で、何かしらの予兆があったのかもしれません。今回のプルシェンコの欠場に、団体戦の影響があったことは間違いないでしょう。個人の出場枠を「1」しか獲得できなかった、前シーズンのロシア勢の不甲斐なさの代償だとも言えますが、やはりこの短期間でSP、フリーを2度ずつ、計4度滑走するのは、かなり厳しい要求です。
ひとりのフィギュアを愛する者としては、彼が万全な状態でのフリープログラム「ベスト・オブ・プルシェンコ」を見てみたかった。ただ、団体戦、個人戦と、世界のトップスケーターの本気の演技が2度見られる、この新しい五輪には魅力があります。次の平昌五輪に向けたフィギュア界では、団体戦での戦い方を考慮して、五輪代表枠をめぐる争い、つまり五輪前年のシーズンの重要度が、より高まってくるのかもしれません。
(次回の「佐野稔のフィギュアスケート4回転トーク/ソチ五輪特別編」は、ソチ五輪終了後に掲載の予定です)
PHOTO By Atos International, via Wikimedia Commons