オバマは誰を推すのか? 死者がチェンジするアメリカ大統領選挙戦 (平田伊都子)
「Beau Biden was an original(ボー・バイデンは稀有な人だった)」
2015年6月6日、ボー・バイデンの葬式で、オバマ・アフリカ系アメリカ44代大統領はお悔みの演説をこんな言葉で切り出しました。 そして、演説の途中で何度も鼻をすすり、ハンカチで涙を拭いました。
ビル・クリントン元大統領やヒラリー・クリントン次期大統領候補者を始め、アメリカトップの政治家たち約1000人がデラウェア州ウィルミントンにあるローマ・カトリック教会の式場を埋め尽くし、教会に入れなかったたくさんの人が道に溢れていました。
オバマ大統領から、オバマ流最高の褒め言葉を贈られた故ボー・バイデンは、ジョセフ・バイデン米副大統領の息子です。 <ボー>とはフランス語で<美しい>という意味です。
*イスラエル詣でをする共和党大統領候補者たち:
イスラエル紙ハーレツによると、大統領選に名乗りを上げた共和党の候補者たちが続々とイスラエル詣でをしている。 何を置いてもまずイスラエルの支持を必要とするアメリカ政治家の露骨な行動は、アメリカ政治を牛耳るユダヤ系アメリカ人団体の強大な力を象徴している。
2015年5月11日のイスラエル紙ハーレツが、「米大統領候補による伝統的な第一歩は、イスラエル・ツアーから」と、共和党大統領候補のウィスコンシン州知事スコット・ウォーカーの「イスラエル詣で予定表」を一例として紹介している。 ウォーカー米大統領候補は<耳を傾ける旅>、つまり、<イスラエルのご意見を拝聴する旅>と銘打っている。
まず彼は、共和党ユダヤ連盟局長の指南を受け、青いポロシャツでユダヤの聖地・嘆きの壁を詣でる。 そして、彼はキリスト教の聖地とエルサレムの旧市街を訪問する。
さらに彼は、ホロコースト博物館に足を運び、駐イスラエル・アメリカ大使ダン・シャピロに会い、イスラエル国会クネセットの議員たちを訪問し、最後はイスラエル首相ベンジャミン・ネタニヤフを表敬訪問することになっている。 彼のイスラエルツアーは、ユダヤ人団体が企画した大統領候補用の定番旅行日程に従っているそうだ。
目にあまる共和党大統領候補の、オリジナルに欠けるイスラエル詣でに対して、オバマ・アフリカ系アメリカ大横領は、「ユダヤ系アメリカ人の心は、ネタニヤフ首相より私の方がよく知っているよ」と、さらりといなした。
民主党は伝統的にアメリカのユダヤ団体と仲がいい。 アメリカでは黒人人権団体とユダヤ人人権団体が、一緒に人種偏見と闘ってきた。 バイデン副大統領は自らをシオニストと公言して憚らない。 クリントンの娘婿はユダヤ人だ。 ケネデイー駐日アメリカ大使の夫は大金持ちのユダヤ人だ。
*「アメリカは国連でイスラエルを庇う拒否権を使えない!」(オバマ):
2015年6月2日、イスラエルTV2チャンネルとのインタヴューでオバマは、「もしイスラエル首相ネタニヤフがパレスチナ国家を認めず、パレスチナとイスラエルの二国を礎にした国連主導の和平交渉に応じないのなら、アメリカは国連安保理でイスラエルを庇うことができなくなる。フランスなどヨーロッパ諸国が出してくるイスラエル非難提案にたいして、アメリカはこれまでのように拒否権を使うことができない」と、オバマは爆弾宣言をした。
これは凄いことだ。 一番の国連矛盾点が、国連常任理事5か国だけが持つ拒否権にあることは、世界中が承知している。 世界193か国が参加している国連なのに、世界の重大事は15か国の国連安保理が決定する。 さらにその15か国の中で、国連安保理常任理事5か国の一か国でも「NO!」と言えば、その案件は廃案になってしまう。 米英仏中ロの常任理事5か国は民主的に選ばれたのではなく、現行の国連憲章の下では特権を持つ非民主的な存在だ。 数々出されたイスラエルの蛮行を非難する国連安保理提案を、ことごとく拒否権を使って否決してきたのはアメリカだった。
アメリカの拒否権を乱用して、イスラエルは勝手気ままにパレスチナ住民を虐め続けてきた。 そのアメリカが、目くら滅法に拒否権を行使することを考え直すというのだ。 オバマのこの発言は、拒否権のみならず国連常任理事国のあり方にも、一石を投じた。 常任理事国フランスは子分のモロッコの西サハラ植民地支配を庇うため、拒否権の行使をし続けてきた。 国連憲章を礎にした国連西サハラ脱植民地化運動を支援する国際世論が、フランスの拒否権に異議を唱え始めた。
*バイデンは出馬するのか?:
2014年に入って、次期大統領選挙の民主党候補者としてヒラリー・クリントンとジョー・バイデンの名が取りざたされるようになった。 その時オバマは、「ヒラリーもジョーも、かって大統領予備選挙を戦った友人たちだ。ドロドロの熾烈な戦場に二人が戻りたがっているとは思わない」と、マスコミに語った。 しかし、オバマは密かにバイデン副大統領、あるいはその息子ボーの大統領候補擁立を念頭に置いていたようだ。
オバマは、2011年1月にバイデンから預かっていたバイデン副大統領元報道官ジェイ・カーニーを2014年6月に大統領報道官の激務から解放し、ジョシュ・アーネスト副報道官を格上げした。 現在、アマゾンの広報担当責任者に再就職しているカーニー氏だが、バイデンの大統領戦出陣ともなれば馳せ参じ、そのオリジナルOriginalな才能を発揮するのは間違いない。
ボー氏の母でバイデン副大統領の前妻、ネイリアさんはジョー・バイデンが初めて上院議員に当選した1972年に交通事故で死亡した。 一緒に車に乗っていた子どもたちのうち、1歳の妹も亡くなったが、当時3歳だったボー氏は弟とともに助かった。
ボー氏は2006年から2期8年にわたってデラウェア州の司法長官を務めた後、次期州知事選に出馬する意向を示していた。 長官在任中の2008年には米軍部隊に従軍し、イラク戦場に行った。
ボー氏は2013年の休暇中にめまいで倒れ、脳腫瘍と診断された。 手術で摘出したが2015年の春に再発し、メリーランド州の病院で治療を受けていた。 が、2015年5月30日の夕方、親族に見守るなか、逝去した。 ボー・バイデンの享年は46才、ジョー・バイデンが72才、オバマが53才、、
さあどうする、ジョー・バイデン副大統領殿、大統領選挙戦に挑戦されますか?
ひとえに、あなたの体力と精神力に賭けられています。
世に、「父の意志を継いで」という話は多々ありますが、「息子の意志を継いで」というのは、稀有な話です。 しかし「Yes I can with Obama」、オバマとならばできます。
オバマの辞書に「NO」という言葉はないそうです。
文:平田伊都子 ジャーナリス、 写真:川名生十