ノーボーダー・ニューズ/記事サムネイル

【原子力空母】継続される横須賀の母港化。「東京湾の原子炉」に市民はYES?NO?(鈴木博喜)

原発再稼働が議論される中で、忘れられている「もう一つの原子炉」が東京湾にある。横須賀基地を母港とする米海軍の原子力空母だ。2008年9月に「ジョージ・ワシントン」が配備されてから7年。今秋にも「ロナルド・レーガン」へ交替する。「米軍基地は観光資源」、「単なる交替で機能も同じ」と住民説明会も開かず静観する横須賀市に対し、市民グループが「1万人市民アンケート」を開始。日米両政府に市民の本音を届ける。「トモダチ作戦」での汚染への懸念も拭えないまま、市民は原子力空母を歓迎するのか?
 
 

【住民投票条例案は2回とも否決】

 

 「この街の主人公は私たちだ」

 

 10日夕、横須賀市内で開かれた集会で、市民グループ「原子力空母母港化の是非を問う住民投票を成功させる会」の新倉裕史さんは語気を強めた。「吉田雄人市長は『単なる交替であって新しい事態ではない』と言うが、米軍基地の固定化・恒久化につながります。この先もずっと、横須賀に原子力空母が居座り続けるのです」

 

 「成功させる会」は、1万人を目標に横須賀市民へのアンケートを実施。①横須賀に配備されている原子力空母が、今年後半に交替することを知っているか②原子力空母に関する米軍、日本政府や横須賀市の安全対策をどう思うか③横須賀に原子力空母が配備されていることについて賛成か反対か─を問う。自由意見を記入する欄も設け、消極的容認派の葛藤が少しで多く寄せられることを期待しているという。あわせて市内5カ所で地域集会を開催。市の危機管理課長も出席して、住民の質問に答える。2013年8月に調査会社に委託して実施したアンケートでは「賛成」30.3%、「反対」37.9%、「分からない」31.8%だった(回答者1000人)。

 

 実は通常型空母から原子力空母に交代するのを機に、市民グループは母港化の是非を問う住民投票を行うべきだと直接請求した。一回目が4万1511筆、二回目は5万2438筆の署名を集めたが、横須賀市議会は2007年2月の本会議で賛成10、反対31で住民投票条例案を否決。2008年5月にも賛成8、反対33、退席1で否決している。

 

 今回のアンケートでも「賛成」が多数を占める可能性があるため、会のメンバーには慎重論もある。しかし、他市から転居してきた新住民など無関心層にも原子力空母の存在を知って欲しいという想いが強いという。中心メンバーの一人は「いろんな意見があって良い。皆で考えることが大事」と話す。呉東正彦弁護士も「原子力空母の交替を黙って眺めることは出来ない。現状で出来る最善のことをするんです」と語った。

 

 

【母港化「市長が反対したら日米問題」】

 

 米空母が横須賀を母港とするようになったのは1973年10月の通常艦「ミッドウエー」が最初だ。その前年の1972年9月に開かれた晩餐会の後、時の横須賀市長・長野正義は在日米海軍司令官・バーク少将から空母母港化を持ちかけられる。「空母ミッドウエイが、横須賀をホームとし家族を居住させたい。それは国防費削減の考えから、海軍艦艇の本国帰投回数を減ずるためであり、協力願いたいということであった」(長野正義著「横浜・横須賀六十年 私の歩んできた道」より)。

 

 即答を避けた長野市長に対し、米海軍側は翌日、横須賀商工会議所の会頭を通じて「追浜の制限水域を解除するから空母ミッドウエイの寄港と家族居住を認めるかどうか、市長の内意を聞きたい」(同)と持ちかけてきた。市長はこれに先立ち、外務省でアメリカ局長から「政府としては家族居住は安保条約上認めたいと思うので協力して欲しい」、「原子力空母の寄港は現在全く考えられていない」と打診を受けていた。

 

 当時の心情を、長野氏は著書の中で次のように述懐している。

 

 「市長・長野が拒否するとしたら…まず追浜地先の埋立てはできない。ひいては、他の多くの接収地返還も遅延したり縮小されたりするだろう。更に考えねばならないことは、横須賀市は、米海軍のもっとも重要な基地なるが故に、市長が空母ミッドウエイの母港化を拒否することは、日米両国間の重大な問題となる…ただ家族を居住させたいということで、空母ミッドウエイ母港化反対は唱え難い…空母ミッドウエイが横須賀をホームとし家族を居住させることを認めて、追浜・久里浜・衣笠武山地区約269万㎡をもらうのが、横須賀市の将来のため得策だと考えたから取り引きしたと言う外はないと肚を決めた」

 

 市議会は「空母母港化反対の決議を無視している」と長野市長を責めたものの、1972年11月の本会議で「空母母港化・艦船修理部共同使用反対」の意見書を反対23、賛成22で否決。12月の本会議でも空母母港化に反対する請願を反対22、賛成22のところを議長採決で不採択と決定した。かくして、横須賀市の空母母港化容認は決定し、以降「インディペンデンス」、「キティホーク」、「ジョージ・ワシントン」と計4隻の米空母が横須賀基地を母港としてきた。当初の政府の見解は「3年間」だった。

 

 

【「米軍基地は観光資源」と吉田市長】

 

 横須賀市は一貫して静観の構えを崩さない。

 吉田雄人市長は、市議会で「原子力空母の母港撤回を国に求めるべきではないかという御質問をいただきましたが、そのような考えは持っていません」、「市民の安全・安心を守るべき立場の地元市長として、基地に起因する諸課題についてしっかりと取り組み、これからも言うべきことは言うという姿勢で、国に対して強く発言してまいりたい」、「現在では横須賀といえば基地というように、横須賀の知名度を上げていることも事実です。この基地のイメージをマイナスのものとして取り払うのではなく、その認知度を逆に生かして、マイナスイメージをプラスにしていこうと、基地そのものを観光資源としていかしていこうという取り組みを実施しているところです」などと答弁。

 

 記者クラブとの定例会見でも、原子力空母の交替に関する住民説明会を実施しない理由について「現段階で申し上げるならば、同型艦ということであるのが大きな理由です。諸元もすべて一緒という状況ですから」と答えている。
基地返還を「可能な限り」求めていくのが基本姿勢だが、あくまで「可能な限り」。声高に基地存在の是非も空母母港の是非も論じない。「事故は起こりえないが、起きてしまった場合の対策は講じている」と市側は強調するが、事故時のマニュアルなど現実には機能しないことは、福島の原発事故で証明されてしまった。

 

 集会で呉東弁護士は「トモダチ作戦に参加した『ロナルド・レーガン』は福島で高線量被曝し、乗組員が訴訟を起こしている状態。本当に除染できれいになっているのか」と語ったが、地元サンディエゴではこんな声を耳にしたという人もいる。

 

 「甲板、機械、戦闘機など、いくらやっても除染しきれるものではなかった。事情を知る市民から『すでに汚染されている日本に返せばいいだろう』と言われるようになった…」

 

 様々な問題を抱えた原子力空母が間もなく、横須賀を母港とする。新倉さんは言う。「もはや軍事力が決定権を持つ時代ではない。横須賀市民はそろそろ、勇気を出して米軍基地にNOと言っても良いのではないか」。

 

(文:鈴木博喜)