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ドイツは倫理の視点で脱原発に向かった(大貫 康雄)

「ドイツ脱原発の経緯」

日本では一部の専門家を除き、一般にドイツの脱原発政策は2011年3月11日の東京電力福島第一原発事故を受けて、メルケル首相が決断したと受け取られがちだ。事実経過はまったく異なる。

メルケル首相は改めて既定の脱原発行程表に戻り、そのうえで「再生可能エネルギー時代」への転換を目指す「新エネルギー戦略」を定めている。

一般に誤解されている点、日本での論議との違いを幾つか挙げてみたい。この経緯にも日本と異なるドイツの民主主義の在り方が見えてくる。

原発事故災害は被災者の一刻も早い充分な賠償と救済を進める必要がある。と共に、原発をどうするか今後の我々の議論の重要課題であり、ドイツの議論の過程は良い参照になる。

 

①  ドイツの“2020年までに全原発を中止する”脱原発政策は、既に前シュレーダー政権の時に決定されている。

ドイツでは70年代から原発論議が始まっている。原発反対を鮮明に掲げ、常に議論を主導してきたのが緑の党だった。この緑の党の躍進を受け、1979年、社会民主党・緑の党の中道左派連立・シュレーダー政権が誕生する。緑の党連立参加の条件として脱原発政策の実現を求めた。まず電力業者と協議に入り、政権側は原発稼働で出る放射性廃棄物の原発敷地外搬出を禁止する。続いて2001年(以下01年とする)に原子力法を改正(施行は02年)、正式に脱原発政策を決めている。

脱原発の時期は21年から23年までと定める。時期に開きがあるのは、原発の稼働期間を32年間とし、個々の原発の建設時期や稼働率や残る発電量を定めたためだ。

(ドイツで複数政党が連立を組む場合、選挙後、国民監視の下、政策全般をじっくり協議する。公約が似ている政党間では比較的容易に合意に達し連立が実現する。しかし05 年の第一次メルケル政権のように中道右派のキリスト教民主同盟と中道左派の社会民主党の連立は、公約の違いが大きいため成立までに2カ月かかっている。公約に整合性が無くなると有権者の信を失うので安易な数合わせの連立はしない、と言える)

②   ところが09年誕生のキリスト教民主同盟と自由党の保・保連立第二次メルケル政権は、10年12月、脱原発政策は変えないものの、原発稼働停止期限を平均12年間延長(2035年前後まで原発稼働を容認)するよう原子力法を改正。背景には与党・キリスト教民主同盟が、大手4電力会社など原子力ロビーから多額の政治資金を受けていたことがある。

また旧東独時代、核物理学者でもあったメルケル首相、原発は安全に稼働させられる、との認識があったようだ。

しかし国民の反発は強く、各地で10万人以上の抗議デモなどを繰り返してメルケル政権に圧力をかけ続ける。

政権や与党内では“脱原発の実施期限を50年まで大幅延長”する案や、“既存原発を使える限り稼働”させる、などの発言があったが、結局12年間延長に落ち着いた。それでも国民の怒りは収まらない。11年2月20日のハンブルク州選挙で野党・社会民主党が勝利する。

 

そこへ3月11日、東京電力福島第一原発の大事故が起きる。メルケル首相は相次いで、原発の安全性確保のための指示を出す。

1.原子炉安全委員会に対し、稼働中の17基の原発の安全点検を実施し報告書を出す。

2.1980年以前建設の原発の3ヶ月間停止、この期間中に今後の原子力政策の在り方を決める。

具体的には

3.学術、政治、経済、宗教界など各分野から反原発、原発容認双方の17人を人選して「エネルギーに関する倫理委員会」を招集し、今後の原子力政策の方向を議論する。

4.原子炉安全委員会と倫理委員会の二つの報告書を踏まえて政府方針をまとめる。

 

原発の安全点検にせよ、空からの攻撃まで想定して実施する訳で、我々日本人から見ると問題ない危機対応策であるように見える。しかし圧倒的多数の国民は、“前科”があるメルケル首相の対応を簡単に信用しない。

いわく

1.    今後続く各州議会の選挙対策に過ぎない“その場しのぎ“、その後はウヤムヤにするつもりだろう。

2.    世論を意識しただけで、昨年暮れに脱原発時期の延長を決めた自らの責任について何も述べていない。

(ドイツでは原発の許認可権限は州政府にある。連邦政府ではない。連邦政府は自分の政策を州の担当大臣と協議しなければならない。そのため各州の総選挙結果が原発政策のカギを握るため)

 

メルケル首相を信用しない国民は追い打ちをかける。この直後3月27日のバーデン・ヴュルテンベルク州選挙で歴史的敗北を喫する。

有名な黒い森が広がる農業地帯であると共に、ベンツやポルシェ、ボッシュなど世界的な企業の本社がある州。常に保守党の支持率が高い、保守政党にとって金城湯池の州。1953年以来キリスト教民主同盟が一貫して維持してきた。その州で過半数の議席を確保できず政権の座を失い、歴史上初めて緑の党の州首相が誕生する。

世論調査の結果で政策を変更する例が多く「世論調査首相」とあだ名されるメルケル首相。彼女にとってマゴマゴしている余裕はなかった。脱原発の期限を改めて、前政権に沿った方針に戻した、というべきであろう。

事実、野党側からは、“我々を真似しただけ”との声が出ている。

倫理委員会は10年以内に全原発を停止に、と

方向を決定づけたのは「エネルギーに関するドイツ倫理委員会」の論議だ。社会にとってエネルギー問題は、何をどう確保し、どうあるべきか。

メルケル首相は、経済の観点ではなく倫理的にエネルギー問題を考える委員会を立ち上げ、消費者団体、財界、宗教界、学界などから選ばれた委員で構成された。

 

専門家を招いた論議も含めすべて公開。テレビやインターネットで中継される。原子力安全関連省庁の元局長たちがいずれも、原発の危険性など問題点を証言したのは、今の日本では考えられない展開だった。日本のような官僚の天下り利権構造がないためだ。大手電力会社の社長は発言の機会を与えられたが、専門家である原発推進の科学技術者たちは招致されなかった。議論を歪める、との理由だった。

委員会は原発賛成、反対双方がほぼ等しくされたが、双方とも「原発は過度的なエネルギー源で出来るだけ速やかに廃止する」との点では一致。

ただ、いつまでに脱原発を実現するかの時期で分かれ、「明日にも稼働中止、廃炉行程に入る」から「2035年ごろまで稼働させる」まで隔たりがあった。

(日本では現在、各地で一般市民の声を聞く会が開かれているが、発言する人は政府が広告代理店に依頼し、広告代理店が作ったくじ引きソフトで公平に選んだという。それにしては電力会社の社員が選ばれる確率が異常に高く、自己紹介でいい加減さが判り、すぐに批判を浴びた。ドイツは国民監視の中で見識を持つとして選ばれた各界の代表公開の場で長時間集中的に論議したのと大違いだ。くじ引きソフトの誤魔化しと言えば検察審査会のくじ引きソフトを思い起こさせる。森ゆう子議員の調査で相当部分明かになっているが、検察審査会の一切の過程が非公開“つまり秘密”にされているので、裁判所や検察の思うままにデッチ上げされた疑いが十分にある)

 

こうした議論を経て委員会は「向こう10年間に全原発を停止すべし」との勧告を出す。

根拠は

①   原発事故は一旦起きると自分たちだけで処理や収束は不可能。影響は国境を超えて広がり、世界の問題になる。

②   原発から生み出される放射性廃棄物の問題は我々世代では解決不可能、将来長い年月にわたり後世の世代に負担を押し付ける。

と、いずれも倫理上の問題を指摘している。

 

ドイツの脱原発への論議については倫理委員会の委員などが来日、議員会館などで講演している。

この中で、緑の党のベーベル・へーン副代表は、原発は“利益は電力会社など個々の関係者のもの、失敗、損失は社会(一般国民)に押し付け”、という矛盾がある。「子どもや次の世代の健康を犠牲にして利益を享受する構造がある」と語っている。

これを受ける形でドイツ政府は6月6日、再生エネルギー発電を加速して推進するなどエネルギー転換を目指す広範な関連法を閣議決定する。いわゆる「新エネルギー戦略」を打ち出していく。

ドイツがこうした議論を全面公開の場で集中的に行い、迅速に新エネルギー戦略を打ち立てた背景には、前の段で述べたように、環境問題の広い視野から30年以上にわたって原発の安全論議を続け、再生可能エネルギーへの可能性を逐次追求してきた歴史と実績がある。

これについては後日、改めて述べる機会を持ちたい。

【NLオリジナル】