ロンドン五輪はシェイクスピアに注目!?(玉木正之)
ロンドン・オリンピックの開幕がいよいよ間近に迫った。水泳平泳ぎ北島康介と女子レスリング吉田沙保里の3連覇は……? なでしこジャパンのW杯優勝に続くタイトルは……? と、マスメディアも大いに騒ぐ。
が、盛りあがる五輪の話題と裏腹に、意外と知られていないのがオリンピック文化プログラム(芸術祭)の存在だ。古代ギリシアのオリンポスの祭典競技(古代オリンピック)には、詩の朗読や竪琴の演奏などを競う競技(芸術競技)が存在し、多くの画家や彫刻家が身体競技の様子を絵や彫刻に残していた。そのことを知っていた近代オリンピックの創始者ピエール・ド・クーベルタン男爵は、近代オリンピックでも、そのような「芸術競技」の実施を企図していた。
そして1912年の第5回ストックホルム大会以来、文学(詩や小説や劇作)や音楽(作曲や演奏)、絵画や彫刻、それに都市計画といった「芸術競技」を実施。1936年の第11回ベルリン大会(ヒトラーが主導し、現在では“ナチ・オリンピック”とも呼ばれている大会)では、日本人画家の藤田隆治と鈴木朱雀が「絵画競技」の油絵部門と水彩画部門で3位に入賞。それぞれ銅メダルを獲得した。
オリンピックは「人類の祭典」で、人間は身体(ボディ)&精神(ソウル)から成り立っている存在。だから身体競技と精神競技のどちらも必要……というのがクーベルタンの考えだった。が、やがて人間精神の産物である芸術(アート)は競技として競うものではない、という考えが主流となり、1948年第14回ロンドン大会を最後に「芸術競技」は廃止された。
かわってオリンピック開催都市には「アート・エキジビジョン(芸術展示)」を催すことが義務づけられ、現在では、《オリンピック村(選手村)の開村期間、複数の文化プログラムを計画しなければならない》と、IOC憲章(第5章39条)に定められている。そこで、どのオリンピック大会でも数多くのクラシックやポップスやロックのコンサート、オペラやミュージカルや演劇、絵画展などが開催されるようになった。
最近では、2000年のシドニー・オリンピックの文化プログラムが充実しており、女子マラソンで金メダルを獲得した高橋尚子の激走の背後に映し出された貝殻の形をしたオペラハウスでは、オリンピック音楽祭として連日モーツァルトなどのオペラが上演されていたほか、小ホールではアニメ・フェスティバルが催され、『鉄腕アトム』や『もののけ姫』など日本のアニメが数多く上映されていた。
今回のロンドン五輪でも、ネットに公開されたプログラムを見てみると(http://festival.london2012.com/brochure/)、音楽では、指揮者のダニエル・バレンボイム、グスタボ・デュダメル、そしてサイモン・ラトルとベルリン・フィル、オペラ歌手のプラシド・ドミンゴ、ジャズ・トランペッターのウィントン・マルサリスなど、素晴らしいコンサートがズラリと並んでいる。が、今回の「ロンドン五輪芸術祭」でなんといっても素晴らしいのは、シェイクスピアの連続上演だろう。
競技大会の開会式も、シェイクピアの戯曲『テンペスト(あらし)』に基づく「驚きの島々」というテーマで演出される(演出は映画『トレインスポッティング』や『スラムドッグ$ミリオネア』を監督したダニー・ボイル。音楽はボイルとのコラボ活動も多いアンダーワールド。また、元ビートルズのポール・マッカートニーが出演して最後に『ヘイ・ジュード』を歌う……ともいわれている)が、4月から11月までの長期間にわたって『ワールド・シェイクスピア・フェスティバル』が開催され、世界中の劇団がイギリス各地を訪れ、英語はもちろん、ドイツ語、フランス語、日本語、中国語からスワヒリ語や手話まで、37の言語でシェイクスピアの戯曲が上演される(中国の劇団が、『リチャード3世』を現代演出によって上演するので、残忍、狡猾な王が、どのような現代の支配者=共産党幹部?に描かれるか、注目する声もあるらしい……)。
ジャマイカのボルトは100mで世界新記録を出すか……と期待するのもオリンピックなら、どんなシェイクスピアの舞台が……と注目するのもロンドン五輪の愉しみ方なのだ。
この原稿は、(株)ヤナセのPR誌『YANASE LIFE plaisir』2012年7+8月号の巻頭コラム“FRONT VIEW”に書いたものをもとにして、大幅に書き加えたものです。