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小泉から菅、そして野田総理へ(辺 真一)

先週末、岩手県の町村長研修会で「日本を取り巻く国際情勢」と題して講演を行った。

演題が「国際情勢」ということもあって、朝鮮半島問題は最後に少し語るだけにとどまった。

岩手県は、今、「時の人」である小沢一郎さんの地盤だ。そんなことから小沢さんが政権党であった自民党の幹事長をしていた1991年の秘話を披露した。

当時、「政界のドン」と称された金丸信副総理の訪朝翌年の1991年2月に来日した金正日書記(当時)の側近、金容淳書記が小沢幹事長を表敬訪問し「国交が正常化されれば、訪日する」との金正日氏のメッセージを口頭で伝えていたことだ。金正日氏は父親の金日成主席の名代としての訪日を検討していたのだ。

夢かなわず、金正日総書は昨年12月に他界した。「アジアの最後の独裁者」と揶揄されていた金正日氏の急死に2002年、2004年と二度、会ったことのある小泉純一郎元総理は、一言「残念だ」とコメントしていた。

「残念だ」という意味は、二度目の会談後の以下の発言(2004年5月29日)に凝縮されている。

「北朝鮮において金正日氏が最高権力者である。重要な決定は金正日氏のOKがなれば動かない状況にあると思う。今後も、北朝鮮の最高権力者として、日本と北朝鮮の関係を考えると、交渉しなければならない人物だと思っている」

核も、ミサイルも、拉致問題も政治決断ができる独裁者を相手にしなければ難しいという意味のようだ。

講演後、旧知の菅直人前総理に某所で遭遇し、1時間ぐらい雑談したが、もう総理を止められているので、前から気になっていたことをズバリ聞いてみた。

「菅さんは野党民主党代表の頃の2004年1月のNHKTV討論番組で『膠着した拉致問題を解決するには金正日総書記を日本に呼ぶのも一つの策である』と言っていた。せっかく総理になったのになぜそれができなかったのか」と。

答えは「1年ではとても無理」ということだった。確かに任期たった1年ではあれも、これもできない。まして、政局に忙殺されていれば、なおさらのことだ。

国内政治が安定しなければ、外交には集中できない。米大統領は少なくとも4年間、再選されれば、8年間は辞めないで済む。韓国の大統領は、5年間は安泰だ。それに比べると、1年はあまりにも短すぎる。

小泉総理から野田総理まで政権が6度変わった。自民党から民主党に政権も交代した。

小泉総理以降の歴代総理は「拉致問題の一刻も早い解決を図りたい」(安部晋三総理)「私の手で拉致問題を解決したい」(福田康夫総理)「拉致問題は時間との勝負。答えを急いで出したい」(麻生太郎総理)「拉致問題で積極的に取り組むところをお見せしたい」(鳩山由紀夫総理)「国の責任において、すべての拉致被害者の一刻も早い帰国に向けて全力を尽くす」(管直人総理)と啖呵を切ってみたが、どれもこれも、掛け声倒れである。

野田 佳彦総理も「政府一丸となって取り組み、解決する」と決意表明しているが、北朝鮮の政権交代で拉致被害者家族会が悲壮感をもって臨んでいる「勝負の年」である今年も、すでに半年が過ぎた。