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【NLコラム】国民と市民の違いは?(高野孟)

《新聞はベタ記事が面白い》No.005

日本経済新聞13日付1面最下段の「春秋」欄が、「最近とみに違和感を持つようになった言葉に『国民』がある」という書き出しで、野田佳彦首相が二言目には「国民のみなさま」と言い、その野田が気に入らないからと離党した小沢一郎グループが「国民生活が第一」と、3年前に民主党が政権をとった時のメインスローガンをそのまま持って出て、な〜んだどっちも「国民」かというシラケを露わにしつつ、こう書いている。

「広辞苑の『国民』の項にうまい説明を見つけた。『(国家を構成する人間が)国権に服する地位では国民、国政にあずかる地位では公民または市民と呼ばれる』。国民と呼ばれている間は、権力を持った方々にとって体のいいお客さんにすぎぬということだ」

そこで広辞苑を開いて詳しく見てみると、「①国中の民。くにおみ。②国家の統治権の下にある人民。国家を構成する人間」とあって、その後に日経が引用した文章が続く。この広辞苑の定義って結構面白いですよね。国民は「国権に服する」のに対し、公民もしくは市民は「国政にあずかる」。ということは、野田にしても小沢にしても、国民、国民とは言うものの、それはつまり「お前ら国民どものことをよく考えて支配してやるから、心配しないで俺に付いて来い」と、上から目線で言っていることになる。

それで思い出したのだが、96年旧民主党結成の時のスローガンは「市民が主役」だった。そこでの「市民」はまさに「政治に参画する下からの民主主義の担い手」というような意味合いで、結成理念文書では次のように言っていた。

「明治国家以来の、欧米に追いつき追いこせという単線的な目標に人々を駆り立ててきた、官僚主導による『強制と保護の上からの民主主義』と、そのための中央集権・垂直統合型の『国家中心社会』システムは、すでに歴史的役割を終えた。それに代わって、市民主体による『自立と共生の下からの民主主義』と、そのための多極分散・水平協働型の『市民中心社会』を築き上げなければならない。いままでの100年間が終わったにもかかわらず、次の100年間はまだ始まっていない。そこに、政治、社会、経済、外交のすべてがゆきづまって出口を見いだせないかのような閉塞感の根源がある」

いつの間にか民主党の誰も「市民」と言わなくなって、野田になったら完全に「国民」になって、そしてその野田民主党から小沢が「国民」の名において飛び出して行った。「国民」ではなく「市民」に立ち戻らないと民主党の再生はないのではないか。

《高野孟のTHE JOURNAL》
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