ノーボーダー・ニューズ/記事サムネイル

【NLオリジナル】日本は議会制民主主義の国なのか?(大貫康雄)

大貫康雄のメディアと現代世界・第1回――「議会民主主義の程度」

小沢一郎元民主党代表が賛同議員と共に遂に離党し、新党設立。政界再編が進むと大方が見る。

「国民の生活第一」を掲げ、大きな期待を受けて戦後初の本格的な政権交代し登場した鳩山・小沢民主党政権。それが3年で政権交代の立役者が離党。もう一人、鳩山元総理は“党員資格停止”6カ月の処分。

理由は現・野田政権が進める消費税率引き上げ法案に反対、党議拘束を破ったためとか。有権者の立場から見れば、選挙時の政権公約に反する消費税率引き上げ。それを野党と合意をしてまで強行する野田総理たちこそ処分を受けるべき、と考えるのが当然だ。それが「あれ!?」と思う間に逆の展開になっている。

日本は議会民主主義制度の国のはず。何故こうなったのか。こうしたバカバカしい事態が今後起きるのを防ぐためにも、一連の動きを大きく振り返り、検証を加えることが必要だ。

 

1、「党議拘束」、先進民主主義諸国で余り聞いたことがない。選挙民から選ばれる議員は本来、独立した存在だ。通常「党議拘束」はあまり行われない。党員資格停止などの処分も行われない。

大統領制を取るアメリカでは大統領府(行政府)と議会(立法府)、それに裁判所(司法権)が比較的明確に独立している。従って大統領と同じ党所属の議員でも法案によっては反対票を投じ、野党議員にも賛成に回る例が頻繁に見られる(cross vote)。

しかし党議拘束や党内処分など、浅学の身、これまで聞いたことがない。オバマ大統領の進める医療保険改革法案でも造反議員が出た。

議院内閣制のイギリスでは予算など政権運営の基本をなす法案では造反議員は先ず出ない。しかしイラク戦争直前、アメリカと一緒になって積極的に参戦を進めようとした当時のブレア首相に対し、閣内からも反対者が出て閣僚辞任が相次いだ。議員は、閣僚としての身分より自分の信念を大事にした。それで「処分」という話は聞かなかった(その後イギリスではイラク戦争政策の是非を改めて法的に検証する独立委員会が作られ、ブレア元首相らが喚問されている。ブレア元首相を戦争犯罪人と呼ぶ同党議員さえいる。日本では当時の小泉総理が他国に先駆けてブッシュ政権を支持したが、その後、自衛隊を派遣したイラク戦争支持政策が正しかったのか法的に検証する動きは皆無だ)。

ドイツではギリシャ、スペイン、イタリアなどに財政支援の増額を決める法案に与党議員からも反対者が数多く出て、メルケル政権は野党の協力を得て可決した。それで「党議拘束」などの処分という話は出ていない。逆にメルケル首相は“借りた者が責任を伴わない安易な支援に応じ、税金を無駄に使った”などの批判にさらされている。

各国の議会の動きをみると、日本の政権与党、民主党の現政権の動きが極めて異様に映るのは私だけではあるまい。

 

2、公約を掲げて有権者の付託を得た議員が任期中、公約に沿って行動するのは当然のこと。

また議員の身分は任期中保障される。余程の凶悪犯罪をしない限り、警察や検察などに束縛されることは先ずない。議会民主主義とは、人々の付託を受けた者が任期中、全力で政治活動出来ることを保証する制度だ。また如何なるものであっても不当に自由を侵害されることがない「人権」が具体的な場で擁護されているか否かが、民主主義が機能しているか否かを判断する一つの目安でもある(次回は議員の身分が、どのようなものか、犯罪をした一議員の例を紹介する)。

 

3、管直人前総理が民主党代表に選出された直後言い放ったのが“小沢氏は黙っていろ”など、と小沢一郎氏の言動を拘束しようとする発言だった。

党代表といえども、総理大臣といえども、同じく選挙民から付託を受けて議員活動をする身である。ほかの議員の活動を拘束する権限は無い。それを起訴された“被告”というのを理由に、管・民主党幹部は小沢氏を無期限の党員資格停止にした。議員活動そのものまで拘束は出来ないが、与党の政策決定にも議論にも参加させなかった。議会民主主義の原則を無視した。

 

4、一審で小沢氏に無罪判決が出た時、前原政調会長は検察捜査の問題点をいうのかと思いきや、何と逆方向の発言をしている。三審制であり最高裁まで云々、と言って、最高裁の判断が出るまで、小沢氏が“推定有罪”であるかのような発言をした。

政治家が当たり前の民主主義国でこんな発言をしたら、そこで政治生命は終わるであろう。国際会議などで発言したら、その時点で爪はじきされる位の暴言だ。“推定無罪”が原則中の原則で、前原議員は議会民主主義以前に、民主主義、人権、法の支配、という現代民主主義社会の基盤である理念を余りにも判っていない。

 

5、小沢一郎氏を強制起訴にした検察審査会から検察官役を託された指定弁護士3人。彼らは(検察審査会法は法律自体が憲法違反の可能性が強いが)、その法律でも明確にされていない権限を行使し、確たる証拠もないのに、判決を不服として控訴する。

この3人に、人権という理念は欠如しているようだ。通常の国であれば弁護士会から少なくとも何らかの処分があるべき行為だ。検察審査会法は、どう読んでも不思議な民主主義制度に即した法律とは言えないばかりか、手続き面でも無理な規定がある。

検察審査会は独立してその職権を行う、とされている。しかし検察審査会の事務局が裁判所の中にあることだけでも、独立性に疑念を抱かざるを得ない。起訴とは、人を罪に陥れるための行為の一つだ。起訴の時点で被告扱いになる。人を被告扱いにするか否かを決める審査員がくじ引きで決められ、匿名で審議をして議決をする、という。被告になるのは、日本のように人権意識の低い社会では、その人の一生を左右する大事件だ。それを、どんな人間か判らない匿名の者が非公開で決めるという行為自体、無責任であり、法の支配(rule of law)の原則から逸脱している(rule of law は 我々日本人が良く勘違いする“法治主義”rule by law ではない)。

この悪法規定を一体、誰が、いかなる理由で提案し、いかなる過程を経て法律になったのか、そして誰が動かしているのか調べてみると良いだろう。我が国の議会民主主義が如何に劣悪か、その一端が判る。

 

6、刑事裁判では裁判に明白な誤りがない限り、無罪判決が出た時点で裁判は終わる。先進諸国の場合、刑事裁判で控訴となるのは、被告側が有罪判決を受けたのを不服として行い場合が殆どだ(この具体的例も次回以降に紹介する)。

 

7、小沢一郎氏の元秘書3人に対する裁判でも人権の擁護者たるべき裁判官自体が“推認有罪”と、とんでもない判決を出した。

国会から批判の声が上がらない。最高裁判所の判事たちは何も言わない。何故裁判官の過ちを指摘しないのか。法曹界からも批判が小さい。その後、最高裁が申し訳程度に“推認有罪”裁判官を大阪地方裁判所に異動させた。歴史に残る悪い判決を出した裁判官に対する大甘処分だ。

この驚愕する判決に至る裁判の経緯そのものが異常であるし、メディア、特に既存のマスコミの論調は低調だ。この3年間、こんなことが延々と続けられてきた。異常なことだ。その異常性に多くの国民が馴らされて来てしまったように見える。マスコミの異常な報道が、その最大要因に上げられる。

 

 

8、一連の反小沢一郎氏工作、世論操作の手始めを担った検察庁の検事たちへの処分も大甘であり、秋霜烈日が如何に独りよがり、唯我独尊であったか判る。

小沢一郎氏攻撃の最初が“陸山会事件”。小沢氏が東北のゼネコンをとか、封筒に5千万円の札束を入れて、など少し調べればデッチ上げであることが判るのに検察庁と一体化したような一方的で異様なマスコミ報道が続く。それがいつの間にか西松建設関係者の証言で裁判が変わってしまう。検察が訴因変更? 何故、判事は簡単に認めるのか? 何故、裁判を判事は終わりにしないのか? 元々から摩訶不思議な曲折を経た裁判である。何故、マスコミも法曹界も批判しないのか?

その過程で石川議員の秘書の女性を、資料を返還するといって電話で呼び出し、そのまま夜まで缶詰め状態にする検事。子どもたちとの連絡さえ取らせなかった検事。秘書の自由を不当に拘束し、人権侵害は明白である。マトモナ民主主義国家であれば、この時点で捜査中止であり、検事は処分される。処分もされなければ、訴因変更も簡単に認められる。デッチアゲの対象にされた人には堪ったものではない。こんな横暴が公然と認められるから検事たちは傲慢に、唯我独尊になるのだろう。

唯我独尊といえば、ロッキード事件の最中、当時の田中角栄・前総理大臣を逮捕した後、最高検の検事が「一罰百戒」と言ったのを覚えている。世の中には悪い奴が数多くいるが、その中でも特に悪い者を検察が選んで摘発し、懲罰を加えることによって、他の悪い奴らを悔い改めさせる、という意味だった。まるで自分たちが日本社会の監督者であるかのようなおごり高ぶった一言だった。

そのロッキード事件の裁判で田中角栄・元総理は政治力を弱められただけでなく、命そのものを縮めた。田中氏の死後、公訴棄却としたが、有罪判断の根拠である”嘱託尋問調書”の証拠能力を認めなかった。実質的に有罪とするには無理、と解釈できる(※)。

元々国策捜査であって一審で有罪にし、裁判を長引かせて田中・元総理の政治生命が終わらせるのが目的だったと、今にして思う。記録上、最高裁は間違った判断をしていなかったことになる。それが最高裁の狙いだったのだろうと私自身は解釈する。当時、嘱託尋問調書なるものに、検察が発表するまま疑いを抱かずにいた自分を苦々しく思い出す。

今改めて思うに、日本の検事たち、そして裁判官たちに、本当に人権擁護の理念を理解し、遵守している者が何人いるか、これから検察や裁判の成り行きを注意して見ていくことをお勧めする。

(※)当初「田中・元総理が死去した後、最高裁は何気ない顔で無罪判決を出す」という文章でしたが、一部、訂正を加えております(7月8日9:20)