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党最高指導部で異変 〝失脚間近〟だった党最高幹部が生き残っている理由(相馬勝)

北京でヘンなうわさが流れている。胡錦濤国家主席の側近中の側近で、中国共産党の最重要の意思決定機構である党中央委員会の日常業務を統括し、秋の党大会で党最高指導部入りする可能性もある令計画(れい・けいかく)党中央委書記処書記兼中央弁公庁主任に関するものだ。

令計画氏の子息が3月18日、北京の高速道路上で赤いフェラーリを運転中に事故死したというのだ。赤いフェラーリといえば、最高指導部入りを目前にして、妻が英国人殺害に関与したとか、自身も多額の汚職事件に関与したなどとして失脚した薄熙来・重慶市党委書記の子息、薄瓜瓜氏のことを連想する。

上海市街(筆者撮影)

瓜瓜氏はさきのNews-logでも書いたが、12歳で英国留学し、大学はオクスフォード大を卒業し、大学院はハーバードのケネディスクールを先月修了。赤いポルシェかフェラーリを運転し、女性との派手な交遊関係でも話題になった。中国はおろか西側でも「親が親なら子も子」というわけで、批判の対象になったことは記憶に新しい。

その薄熙来氏の重慶市トップ解任が発表されたのが3月15日。その3日後に、薄氏を解任した最高指導者である胡錦濤主席の腹心の子息も、薄氏の息子同様、真っ赤なフェラーリを運転して事故死したというのでは、いくら何でも体裁も悪いが、タイミング的にも最悪だ。

汚職した党幹部も、党最高指導者を支える腹心の党高級幹部も、真っ赤な外車を乗り回す「道楽息子」をもっていたとなれば、胡錦濤主席の面目にもかかってくるというわけだ。

さらに悪いことに、この事故を政治的に利用しようとする輩が現れたことだ。中国で警察機関や司法部門を一手に握る周永康・党政治局常務委員である。

周永康氏と言えば、3月初旬の政治局常務委で、薄熙来氏の解任について採決をとった際、たった一人解任に反対したといわれる常務委員である。薄氏の失脚の間接的な原因となった重慶市のマフィア撲滅運動を全面的に支持し、政治的にも薄氏と極めて近い関係だった。薄氏の解任後、周永康氏も「失脚は確実」とみられていた。

その周永康氏は令計画氏の子息の事故死を知ると、これを自身の政治的危機を乗り越えるためのチャンスとみた。事故の報告を受けると、すぐに令計画氏に電話し、子息が死亡したことを告げ、「このことは、あなた(令計画氏)にとっても都合が悪いことでしょうから、北京市の警察部門などに指示して、なかったことにします。黙っていてあげますよ」と恩着せがましく伝えたのだ。

北京市街(筆者撮影)

令計画氏は周永康氏の「言外の意」を組んで、胡錦濤主席に事実を話し、周永康氏の解任を踏みとどまらせたというわけだ。そのシナリオ通り、失脚間近と言われた周永康氏は党大会の代表にも選ばれ、しばしば地方視察に出かけて、その言動は国営の新華通信社や党機関紙「人民日報」でも伝えられている。このため、「もう解任はなくなった」といわれているほどだ。

一説には、周永康氏は薄氏との政治的関係から、自身のボス的存在である江沢民前主席と胡錦濤主席に事情を聞かれた際、涙を流して前非を悔いたことで、解任は免れたともいわれる。いずれにしても、令計画氏の〝根回し〟が効いていた結果ともみてとれよう。

ところで、この令計画氏の子息の赤いフェラーリ事件は中国のニューズウェブサイト「博訊( ボシュン)」で伝えられた。博訊( ボシュン)といえば、昨年の浙江省での高速鉄道事故で、次々と情報を発信して、「中国の新たなニュースメディア」との大きな評価を得ている。よほど自信があるのか、博訊は6月4日から連日、続報を伝えている。

博訊の報道が正しいのかどうかは、正直に言って私には判断のしようもない。香港などの報道機関も現時点で、この事件を一切報じていないことからも事情は同じだろう。最高指導部の幹部の息子が事故死したのかどうか、よほど警察に強いニュースソースがなければ、確認しようがないからだ。

ただ一つだけ言えることは、中国では権力移行期には、薄熙来事件に代表されるように、われわれの考えの及ばないことが起きるということだ。