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特別公開 希望の党結党前夜の密談と排除の論理(上)

今回のメルマガは月刊 マスコミ市民(【特集】改憲、三選 安倍政権に見え る綻び 民進党解党の真相 2018年1月号)にて掲載された上杉のインタビ ュー記事をご紹介します。 インタビュアーはマスコミ市民編集委員会の川崎泰資氏です。 川崎 朝日新聞に3日連続で載った「検証・民進分裂」という検証記事は、い わば裏話だともいえますが、今日はその裏話の裏を聞かせていただきたいと思 います。 上杉 昨年の都知事選挙後から小池さんの周辺に私の姿があると言われていま した。それは当然で、私自身、都知事選にも立候補しましたし、都政の取材を 18年間もしてきて都庁番の記者の誰よりも都政については熟知していると自負 していることもあり、築地市場の移転問題やオリンピックの会場問題に関して、 小池都政の勝手な助言者としてお手伝いしてきた経緯があったからです。ただ し、選挙がらみのことは一切なく、あくまでも東京が良くなるためにとボラン ティアで協力してきたのです。もちろん今の今に至るまで小池さんや東京都か ら一円ももらったことはありません。また中に入るつもりもありませんでした ので、ポストもいらないという立場でやってきたのです。  一方、私は国政についてはもっと長く、約25年間も携わってきました。まず、 故・鳩山邦夫議員の秘書の立場で、94年の12月10日の新進党結党に携わりまし た。その時の結党準備広報委員会の事実上のトップは小沢一郎代表幹事、事務 のトップが鳩山邦夫委員長、その下にいたのが小池百合子広報企画委員長代理 でした。事務スタッフには鳩山邦夫事務所の私上杉隆や細川護熙事務所の松野 頼久秘書(のちの官房副長官)といった面々でした。ですから、その時から小 池さんとは知り合いです。  その後、1996年の旧民主党結党の半年前の春、鳩山由紀夫、鳩山邦夫、船田 元、菅直人、簗瀬進、高見裕一、海江田万里という7人の国会議員と後に事務 局長になる芳賀大輔さん、私を含めたメンバーが軽井沢で秘密会を開いたのが 始まりです。その後、会合を重ねていろんな人に呼び掛けていって秋に民主党 ができたのです。私からすると、枝野さんや前原さんは呼びかけた若い新メン バーなのです。98年に新しくできた民主党のときは、やはり半年間くらい前か ら国会図書館で会議を続けましたが、そのときに事務を担ったのも私でした。 最近では、細川護熙さんと小泉さんが組んだ都知事選で最初に選対を作ったの が私と木内孝胤さんです。そうした新党結成の長い経験もあってか、小池さん サイドから「ちょっといろいろ教えてよ」と声をかけられたのがはじまりです ね。私は「野党連合でやるのだったらいいですね」と言って応じた記憶があり ます。  私は、今から10年前の2007年に『官邸崩壊』を書きました。当時、安倍さん という政治家は権力をもったらきっと驕るだろうと思っていましたが、まさに 10年後の現在その通りになりました。その私に対して、安倍さんは10年以上も HPの中で上杉隆を叩き続けています。そこまでされても安倍さんに恨みを感じ ません。ただ、謙虚さを失った権力は独裁を引き寄せ、国を破るという古今東 西の歴史から、安倍政権を倒すためには、右も左も関係なく野党の共闘が必要 だと考え、新党をつくる能力をもっている人は野党側にはいないので、協力す ることにしたのです。  9月26日の夜、銀座である人と会って食事をしていたら、小池さんから「い ま前原さんと会えるかしら」という電話がかかってきました。それまで小池さ んは前原さんと会うことを留保して避けていたのですが、そろそろ会わなけれ ばならないという判断をしたのでしょう。すぐに前原さんに電話すると、「も ちろんぜひ会いたい」ということでしたので、私が帝国ホテルに密会場所を取 ってセッティングをしたのです。その際、すぐに前原さんから電話がかかって きて、「小沢さんと連合の神津会長と一緒にいる。2人をお連れすることもで きる」と連絡がありました。もとより私は小沢さんが一緒にいれば安倍おろし にとっては有効だと思っていたので力強いと思い、小池さんに「お2人がいる のですが、どうですか」と伝えました。しかし小池さんは、「小沢さんは次に。 前原さんと2人でいいわ」というので、そのままそのことを前原さんに伝えま した。すると、またすぐ小池さんから電話がかかってきて、「やっぱり連合の 会長だけは呼んで」と言うのです。出過ぎた真似だと思いましたが、私は、 「前会長ならまだしも、現会長だと話が漏れる可能性がある」と言って反対し たのですが、小池さんは前原さんに気を遣ったのでしょう、「連合の会長を」 と言うのです。それで前原さんに「連合の会長もご一緒にと、小池さんが言っ ています」と伝えたら、前原さんは「小池さんがそうおっしゃるならばそれで 行きましょう」と言って、神津さんも同席することになったのです。その後、 小池さんから電話がかかってきて、「あなたも来てくれない」と言われて、4 人で会うことになりました。 川崎 そうして4人で会うことになったときに、そこで前原さんから「解党す るから一緒にやりたい」という申し出があったのですね。 上杉 はい。話の中身に関して、朝日新聞に書いてあることは本当にごく一部 ですが大筋で合っています。まず、前原さんから「民進党を解党します」とい う提案がありました。そのとき、私も小池さんも驚いた記憶があります。そし て、「衆議院議員は全員離党させます」「代表の私も離党します」「党籍をは ずして希望者は全員希望の党に公認申請を出します」ということを言いました。 小池さんとしては、相手からそう言ってきているのですから聞く以外術はあり ませんが、「それはいいのですけれど、まとめて来られたら困ります」と返し ていました。すると、前原さんは「議員個人個人の判断ですから、小池さんの ところに行きたくないという人もいるでしょう。ただ希望者は公認申請をさせ ます。民進党という政党から立候補する人はいません」と断言しました。さら に前原さんは、「この後まず代表選挙を戦ったばかりの枝野代表代行に話しま す。その後に役員会を開きます。役員会を開いた後、常任幹事会を開きます。 常任幹事会を開いて通ったら両院議員総会を開きます。もしどこかでダメとな ったらこの案はダメかもしれません。しかし皆がOKとなった時に小池さんにダ メだと言われては困るので最初に言いに来ました」という話でした。  「憲法観などで合わなくて、行かない人も何人かいると思います」という前 原さんの話に対して、小池さんは「全部来るんじゃないの」と疑っていました。 小池さんは改憲ですし、前原さんも改憲です。「改憲グループは行くけれど、 護憲は無理でしょう」と前原さんが言うと、小池さんは「護憲左派は来てもら っては困る」と言ったと記憶してます。前原さんは「まさか護憲派は行かない でしょう」と、そういうやり取りでした。  さらに前原さんは、「うちは政党助成金と政務調査費で150億円近くあるで しょう。これは一緒に頑張ってきた民進党の仲間のためにまず使いたいので、 この選挙で使わせてもらいます。希望の党に行く人もいるし、無所属で出る人 もいるし、あるいは別の政党に行く人もいるかもしれませんが、今の民進党所 属の人に優先的に渡したい。ただ全部を使うわけではないので、それを小池さ んの方で使ってください」と提案したら、小池さんはその場で「一円もいりま せん」と言って断ったのです。前原さんは、「私のお金ではないけれど、うち で150億円も使いませんから。もう選挙ですから」と言ったのですが、小池さ んは頑として受け付けませんでした。  あとは党職員の問題で、前原さんは「彼らを路頭に迷わせるわけにはいかな いので、党職員は何とか全員雇ってください」と言ったら、小池さんは「私は その人たちに会ったことがないので、それは事務方が判断するんじゃないの」 と言いました。話はこの3つだけです。  翌日は「希望の党」の結党の日で他党との交渉中でしたから、小池さんから は、「この話はまだ言ってもらっては困ります」と固く念押しがありました。 前原さんも「これから枝野さんに言って、そのあと全員一致しないと、民進党 は独裁じゃないからできません。きちんと手続きを経て、そして最後に改めて お願いすると思いますから、2日か3日時間をください。それまではお互い完全 に秘密を守りましょう」と返しました。  最後に初めて神津さんが口を開いて、「私は今日小池都知事にお会いできて 光栄です」「この場に立ち会えてうれしいです」と言うのを聞き、私は「この 人はいったい何をしに来たのだろう」と思いました。そして、「うちも組織が あるので早めに言わなくてはいけないので」と言ったので、私が「今、お2人 の話を聞いていたでしょ。秘書も通していない。こういうことは漏らしちゃ絶 対ダメですよ」と言いました。  会談が終わって数時間後、すでに他党や記者たちから連絡が入ってきたので す。小池さんからは「どうなっているの」「誰が漏らしたの」と来たので、前 原さんに電話をしたら「私は漏らしていません」と言うので、今度は神津さん に「どうなっているのですか」と聞くと、「私は何もしゃべっていな」「あの ホテルは実は共産党が紛れ込んでいるのですよ」と言うのです。ここで私は察 しました。今回の帝国ホテルのアレンジをしたのは私です。それにあたって、 相当の上の方まで確認をとり、帝国ホテルの中でも信用できるスタッフを集め てもらい、導線確保までして場所を作ってもらったのです。仮にそうだとした ら帝国ホテルの信用に関わります。神津会長が嘘をついたのです。「組織内の 対応がありますから、それは下の方には報告させてもらいました」とのちに認 めましたが「後の祭り」でした。  小池さんは「信じられない」と言いましたが、前原さんも同じように思って いたことでしょう。少なくとも神津会長が72時間黙っていてくれれば、まった く状況は変わっていました。4人で会った日が9月26日の火曜日の夜なので、水、 木、金まで漏れなければ、土日は役所も休みで新党の届出は出せなかったので、 つまり、この世の中に立憲民主党はなかったということになります。神津会長 がしゃべっていなければ、希望の党を中心とした野党連合ができていたはずで す。場合によっては公明党も仲間に入っていたかもしれません。社民党や共産 党には小沢さん経由で選挙協力についての非公式の協力のお願いをしていまし た。自民党以外の全勢力を固められる可能性があったのです。
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