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権力とメディアの健全な緊張関係(ドミニカ移民)2

そうした国内の事情を受けて、政府は国策としての海外移民100万人計画を決 定した。1956年、嶽釜氏らが乗船して、ドミニカ共和国に向けて華々しく出航 したのが、移民政策の第一弾の船だったのである。 当時の外務省と農林省は、移民政策の遂行を焦っていた。各都道府県に通知す るとともに、新聞などのメディアを使って移民希望者を募ったのだ。 だが、そうした入植条件のほとんどは、嘘で塗り固められているものばかりだ った。
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