中国経済事情(3) 香港のビジネスマンはまず慈善事業から始める。中国一の大富豪、李嘉誠氏らの例から学ぶ。
香港で最も有名な経済人といえば、長江実業グループの総帥、李嘉誠(リ・カシン)会長でしょう。彼は香港では「超人(スーパーマン)」と呼ばれています。李氏はアジア一の大富豪で、純資産は297億ドル(約3兆1000億円)と伝えられています。
(香港のビジネス街)
李氏は1928年生まれで現在85歳ですが、この60数年間、年間の決算で1回も赤字を出したことはないのに加えて、ビジネス競争が激しい中国の長者番付で昨年まで15年連続トップの座を維持していますので、このようなニックネームが付けられたのだと思います。
李氏がビジネスの世界に入ったのは、わずか14歳でした。父親が肺結核で死亡したため、長男だった李氏は病気がちな母親と幼い弟と妹を養わなければならず、学業を断念して、香港でセールスマンになったのです。
ところが、李氏自身も肺結核を患っていることが分かり、死の恐怖にさらさられることになるのです。「このときが私の人生で最大の危機でした」と李氏は振り返っているほどです。
李氏はどのようにして生命の危機を切り抜けたのでしょうか。毎朝、香港のビクトリアピークの上ってきれいな空気を吸ったほか、知り合いの調理師に頼んで、彼の母親への手紙を代筆する代わりに、魚の煮込み汁を分けてもらい、毎日食べていたのです。
「本当にまずくて、いまも私が最も嫌いな食べ物です。ただ、栄養価は非常に高かったようで、奇跡的に肺結核が治ったのです」
李氏はこう感慨深げに語っていました。
「このときの経験がもとで、私は1度は死んだ人間だ。猛何も怖いものはない。もう死にものぐるいで頑張るだけだ」
李氏は当時、こう決意したといいます。
李氏はセールスマンをしてためたわずかな資金をもとに、1949年にプラスティック工場を経営し、造花を生産すると「香港フラワー」として大評判となり、世界中で売れ、一財産を形成します。
(香港の反日運動)
その後、中国政府が改革・開放路線を打ち出し、香港や東南アジアの華僑を中心に門戸を開放すると、李氏は中国大陸で不動産開発などさまざまな業種にわたり幅広くビジネスを展開。巨万の富を得て、現在の大実業家の基礎を築いたのです。
李氏が大陸で事業を興す際、最も重視したのは人間と人間の信頼でした。
「たんに儲けだけを考えずに、当時はまだ貧しかった大陸の中国人のために何かをして上げたい」
こう考えた李氏は今後の中国に必要なのは若い人材だと確信し、大学を寄付することを思いついた。それは、李氏自身も勉強をしたかったのに、母や弟妹を養うために、学業を断念したことが脳裏に焼き付いていたからです。
故郷の近くの福建省汕頭(スワトウ)市に汕頭大学を、北京では長江経営大学院をまるまる寄付。全財産の3分の1である2兆2000億円を寄付すると宣言して、「李嘉誠基金会」を創設。死者・行方不明者合わせて9万人といわれる2008年の四川大地震では即座に3000万元(約5億1000万円)を寄付しています。
「損得ずくではなく、中国の将来のために」という李氏の根本姿勢によって、中国共産党・政府の最高幹部から絶大な信頼を得ることにつながったのです。李氏の慈善事業は結果的に党・政府中枢の人脈をもたらしたといえるでしょう。
「急がば回れ」「将を射んと欲せばまず馬を射よ」ということわざもあるように、李氏ほどの巨額な寄付は無理にしても、中国の地方では貧しくてまだまだ教育を受けられない子どもたちも多くいるといいます。われわれも身近なところで、慈善事業を展開していけば、知らず知らずのうちに、“副産物”として、期せずしてビジネスにつながることもあるはずです。
(相馬勝/文と写真提供)