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THE HANSHIN KOSHIEN STADIUM ~大正・昭和・平成 悠久の時を経て~

 阪神甲子園球場が誕生したのは1924(大正13)年8月1日。当時人気を博しはじめた中等学校野球(現在の高校野球)の大観衆を収容できるスタジアムが必要となり、阪神電鉄が建設に乗り出したのだが、そのときの担当者(のちのタイガース・オーナー)が、野球場といえばメジャーの球場という「常識」を持っていたことが、その後の甲子園球場とタイガースの「すべて」を決定したと言える。

 バックネット裏を覆う銀傘と呼ばれる大屋根、 時計台型のスコアボード、蔦に覆い尽くされた外壁…。ニューヨーク・ジャイアンツの本拠地ポロ・グラウンズをモデルに設計された甲子園球場は、ほかの日本の球場にはない建築的な特徴を持ち、「東洋一のスタジアム」と呼ばれていた。野球というスポーツにふさわしい空と風を感じることのできる、この素晴らしい球場のおかげで、どれだけタイガースが負け続けようと、多くのファンはタイガースを愛し、スタジアムに足を運び続けたのだ。

 完成当初は、雨の降るなかでもラグビーやサッカーが見られるよう内野も屋根で覆われていた。但馬地方から雪を運んでアルプススタンドを利用したスキージャンプの大会が開催されたこともあった。ほかにも野外歌舞伎や野外映画界、鷹狩り、馬術大会など、日本初のスポーツコンプレックス(複合総合競技場)として、野球だけでなく、さまざまなスポーツ、文化の発展に、甲子園球場は寄与してきた。

 2007年の大規模なリニューアル工事を前に発売されたこのDVDには、こうした甲子園球場の歴史や四季折々の表情、バース・掛布・岡田のバックスクリーン3連発、甲子園カレーの今昔などが収められている。このようなスタジアムが全国各地に数多く造られていたなら、日本のスポーツをとりまく環境はもっと豊かになっていたはずなのだが…。