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ナチスの犯罪に時効無し、“組織の命令は言い訳に過ぎない”、強制収容所の元親衛隊員に禁固刑(大貫康雄)

「“大量虐殺への加担は組織の命令だった”、は言い訳に過ぎず、そんな理由で罪を免れることは出来ない」、7月15日、ドイツ北部リューネブルクLuneburgの裁判所で裁判長はアウシュヴィッツ強制収容所の記録係だった元ナチス親衛隊員オスカー・グレーニングOskar Groening被告(94歳)に禁固4年の判決を言い渡した。

 

第二次大戦中の戦争犯罪や人道に対する犯罪でドイツではナチスの犯罪に時効が無く、ドイツは各国の協力で国境を越えて追求している。

 

戦後ドイツでは「ニュルンベルク裁判」以降もナチスの犯罪に対する追求が続き、戦争犯罪、人道犯罪に関する理解が進むと共に、“命令・指示ではなく、本人自身の判断の問題”である”と当事者意識を問うようになっている。

 

一方で、東アジアでの太平洋戦争、日中戦争時の犯罪追求は、所謂「東京裁判」で終わっている。歴史に向き合う姿勢の違いが戦時犯罪の追求と思考の深化で際立った対照を見せる。

 

グレーニング被告は37年前の1978年、一度訴追されながら証拠不十分で罪に問われなかった。

 

しかし絶滅収容所看守だった元親衛隊員が2011年起訴され、裁判で「“機械の歯車の一つでしかなかった”、という理由で罪を免れることはできない」として有罪判決を受けた。これが先例となってグレーニング被告は再度裁判にかけられていた。

 

グレーニング被告はアウシュヴィッツ強制収容所で収容者を分類・記録する係として、収容者を働かせるか否か健康状態を判断したり、犠牲者の所持金や所有品の分類に関わったことが判明している。

 

判決に際し裁判長は、「組織の命令だったとは言い訳にならない。強制収容所で何が行われていたか判っており、(その組織の一員として)虐殺に加担するか否かは(結局)貴方自身が決めたのだ」と指摘した。

 

法廷は、被告の健康上、一日3時間以内に限られていた。グレーニング被告は当初、収容所の酷い環境は知らなかった、とか虐殺に直接関係していない、など自分の役割の重要性に対する認識が甘かった。しかし収容所で両親や家族を失った生存者たちの耐えがたい苦しみや心の傷を知るに連れ、変わっていった。

 

裁判の最後にグレーニング被告は、“起訴事実の全て、その通りだ”と同意し、「私の犯かした罪をもっと早く認識しなかったことに深く後悔している。私がアウシュヴィッツで行った行為は道徳に反するもので、誰に対しても許しを請う資格がない。本当に申し訳なく心からお詫びする」などと述べた。そして弁護団の主張以上に付け加えることは無いと加え、禁固4年の実刑判決を受け入れた。

 

 

裁判には、生存者ユダヤ人も高齢を押して裁判に臨んでいた。グレーニング被告が弱弱しく語る、懺悔と謝罪の言葉を聞いて、双子の姉妹と共に収容されていた81歳のエヴァ・コァさんはグレーニング被告に歩み寄った。コァさんは被告      を抱擁して「貴方を許す」と一言、「しかし悲劇を忘れることでは決してない」と念を押した。

 

裁判長はグレーニング被告の体調がかなり弱っているので実際に収監するか否かは医師の診断を見て判断する、という。

 

これに対しアメリカに移住した生存者84歳のイレーネ・ワイスさんは、禁固刑ではなく、“自分が行ったことが如何に残虐行為に加担する事であったか”を若い世代に直接語って貰った方が良い、と希望を述べていた。

 

 

「命令や義務を執行しただけ」とか「指示に従っただけ」などは罪を免れる言い訳にならない。

 

戦後ヨーロッパでは、“組織や上司が誤っている場合、自分自身の判断で命令や指示を拒否することの大切さ”が認識されてきている。

 

昨年日本でも公開された仏独合作映画「シャトーブリアンからの手紙」でも大量処刑前に神父が「君の良心はどうしたのだ!?」などとドイツ軍兵士に語る場面がある。

 

ドイツでは大統領自らが、連邦軍の新兵入隊式などで、“己の良心に従い、命令が誤っていると考えれば拒否するように”とさえ訓示している。

 

〈文:大貫康雄、写真:Wikimedia commonsより〉