ノーボーダー・ニューズ/記事サムネイル

【4年目の福島はいま】葛藤抱え再開した畜産農家、汚染で乳牛手放した酪農家~伊達市霊山町下小国

 福島県中通りの中でも汚染が酷い伊達市霊山町の下小国地区。肉牛の生産を再開させた男性は「実害」と「風評被害」のはざまで揺れながら事業を再開させた。特定避難勧奨地点の指定から外れた酪農家は、乳牛の生産に見切りをつけた。福島第一原発の事故から4年。為政者が目を逸らす現在進行形の苦境が、ここにもある。

 

【「実害」と「風評被害」のジレンマ】

 肉牛が一頭ずつ車に乗せられていく。男性(60)は手伝おうとしたが、身体が動かなかった。「これは夢なんじゃないか、と思いましたね。目の前で日々展開していくことが現実の事として受け入れられなかった」。本来なら50万円は下らないが、福島で生産されたというだけで買い取りを拒否される中、「タダでもいい」と頭を下げて一頭10万円で買い取ってもらった。「牛舎に置き去りにして餓死させるは忍びなかった。殺したくなかったんだ」。2011年3月20日。原発事故から一週間ほどで、88頭いた肉牛がいなくなった。

 霊山町で生まれ育ち、県立福島農蚕高校(現在の明成高校)を卒業後は、肉牛の生産一筋の人生だった。休日は年に1〜2日。遠出をしたのも、バレーボールで知り合った妻との新婚旅行と娘の結婚式くらいだった。牛を手放す時の哀しみは想像を絶する。

 すぐに就学前の3人の孫を連れて愛知県へ避難した。「孫を被曝させないのは、じいさんとしての務めだよ」。福島市南部に暮らす娘夫婦は、仕事の都合で避難できないと反対した。妻も乗り気でなかったが、原発事故前からチェルノブイリ関連本などを読んでいたこともあり、行動に迷いはなかった。戻ってきたのは昨年4月。孫は福島市には戻したくなかった。戻すにしても、宮城県内の小学校に入学させるなど被曝の危険性から遠ざけたかった。「娘夫婦なりの考え方もあるからね。私が無理矢理首を突っ込むわけにはいかない」。孫は何としても守りたい。葛藤は今も続いているという。

 事業を再開して1年。肉牛は48頭にまで増えた。「こんな小さな規模でも、事業再開には5000万円はかかる。賠償金は半分も課税されるから手を付けられない。かといって、還暦を過ぎたじいさんに融資してくれる金融機関などない。金の工面が本当に大変だった」。そして、世に言う「風評被害」へのジレンマ。「実害ですよ。放射性物質が降り注いだのは事実。風評ではありません。5年10年ではなくならない。でもね、生産者がそれを声高に言ってしまうと完全にアウトですよね。誰も買ってくれない。売れなければ生活は立ち行かなくなる。難しいですね…」。

 別れ際、男性は「賠償金をもらっている人たちのことを理解して欲しい」と切り出した。「多額の賠償金を受け取って遊んでいるように見えても、それぞれの事情がある。浪江町から避難して本宮市の仮設住宅に避難している姉はうつ病になりました。仕事もせずに遊んでいるように見える人ほど、実はつらいんですよ」。

t02200165_0800060013240078079 t02200165_0800060013240079810

肉牛の生産を再開した男性に贈られた孫からの祝福のメッセージ。東電からの賠償金は半分が税金として徴収されるため「事業の再開に必要な数千万縁を工面するのは本当に大変だった」と表情を曇らせた

 

【酪農家の怒り。「賠償など進んでいない」】

 久しぶりに訪れた牛舎は空っぽになっていた。鉄くず業者に売れるものはすべて処分し、大型重機が残っているだけだった。「元々儲かっていなかったところに原発事故。これ以上、ここで続けて行くのは無理だと息子は決断したんです。これからはアスパラガスの生産一本でやっていきますよ」。牛舎跡を見渡して、妻(59)は言った。

 同い年の夫は、この地で代々酪農を営む三代目。息子は四代目として期待されていたが、今年に入り北海道の洞爺湖町へ移住した。現地で酪農を続けていくよう模索しているという。「夫は残念だったでしょうし、今も納得していない。でも、30歳を過ぎてここで酪農を続けても先が見えないし、これだけ汚染された土地に嫁に来てくれる女性なんかいないでしょう。そういう意味では良かったと思いますよ。そりゃ、傍にいて欲しかったけど…」。

 問題は乳牛の売却価格。特定避難勧奨地点に指定された近所の農家と、売却単価に差があるという。「今さら指定しろと言っても仕方ないから、せめて差額を東電に補填してもらいたい。ADR(裁判外紛争解決手続)に申し込んだけど遅々として進まない。東電は交渉のテーブルにつきたくないんだろうね。私らは東京でもどこへでも出向くから話を聴いてほしいと言っているのにね」。

 わずかな数値の差で特定避難勧奨地点に指定されなかったことから始まり、国や行政と闘い続けた4年間。これからもそれは続く。「何が復興だよ。何が外国の王子だよ。何が東京オリンピックだよ。ニュースを見るたびに本当に腹が立つよ。何も進まないじゃないか」。

 中学校の同級生だった夫。酒を飲み、荒れることも少なくない。ストレスからか、眠れぬ夜を明かしたことも。安倍晋三首相の言う「復興」を女性が実感できるのはいつの日か。「ゴールデンウイークの頃にはアスパラガスが収穫できるから、ぜひおいで。美味しいよ」。可愛らしい笑顔が救いだった。

 

t02200165_0800060013240456035 t02200165_0800060013240456681

いまだ汚染が解消されない伊達市霊山町下小国地区。ある酪農家は乳牛を全て売却した。「特定避難勧奨地点に指定された農家との売却価格の差額を、東電に請求していきたい」と語る

 

【「安倍首相は小国を見て」】

 「復興?まだまだですよ。原発事故はまだ終わっていないんです。もう4年。でもまだ4年ですね…」

 40代の主婦は苦笑した。

 3月11日が近づくと、判で押したように震災や原発関連の報道が急増する。「でも、多くのメディアが取り上げるのは分かりやすい場所ばかり。浜通りであったり、津波被害の大きかった岩手や宮城であったり…。小国にも取材に来て欲しいですよ。安倍首相にも来てもらいたいですよ」。

 「復興」のから騒ぎより、目の前の汚染をどうするか。「風評被害」の言葉より、実害とどう向き合っていくか。ひとたび原発事故が起きれば、同心円で語れない被害が拡大する。しかもそれは、4年程度では解消されない─。小国地区を訪れるたびに現実を突きつけられる。

 

(鈴木博喜/文と写真)<t>