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世界で最も有名な樹の下で 【インドジャーナル(1)仏陀の足跡〜12億のIT先進国を訪ねて】

 世界でもっとも有名な樹の下にやって来た。日本から約12時間(乗継除く)、インド東部ビハール州の肥沃な平原の中にその菩提樹は立っている。

 

 約2500年もの間、これだけ人類から愛され続けた樹木もないだろう。なにしろキリストが誕生する500年前、アッラーがこの世に登場する1000年以上も前のことである。屋久島の縄文杉には及ばずとも驚きの歳月ではないか。

 

 じつは、現在の菩提樹は4代目だという。2500年以上前、初代の樹の下に、王位継承権を自ら捨てたばかりの若い男がやって来た。そこで49日もの間、自ら敷いたクシャの草の上に座って瞑想したことで有名になったのがこの菩提樹である。

 

 若き苦行僧ゴータマ・シッダールダが悟りを開いたブッダガヤはインドでは珍しく仏教徒の多い町だ。伝説の菩提樹を求めてスリランカやタイなど世界中から信者が集まる。

 

 菩提樹に話を戻そう。シッダールダが瞑想した当の初代と次の2代目は枯れ、3代目はムガール帝国時代に宗教上の理由(偶像崇拝の否定と仏教への弾圧)によって切り倒されたという。

 

 だが、その度復活しているのはアショーカ王時代(紀元前3世紀)に、その皇帝の娘サンガミトラによって、スリランカに持ち込まれていた苗木との交換によるものだとインド政府の担当者が胸を張る。

 

 本当か? 現在のことでもこの世のことはわからないことだらけだというのに。2300年前のことなどいったい誰が知れようか。

 

 しかし、菩提樹の下で独特のリズムのサンスクリットの経を聞いていると、そんなことはどうでも良くなってくる。

 

 ここインドでは何もかもがそうなのだ。小さなことはどうでもよい。諸行は無常で、宇宙は悠遠、人類は愚かで、私は無知だ。

 

 菩提樹の下に、世界中から高僧が集まって、これから3日間にわたってコンクラーベを開くためのセレモニーが始まった。

 

 33カ国から100人以上の僧侶たちが集う様は圧巻だ。ちなみに開催国インドを除けば、日本からの参加者が11人ともっとも多い。2年前にはそこにいたダライラマの姿はまだない。

 

 拭き出す汗を拭っていると若い僧侶がマンゴージュースを持って来た。手を合わせて遠慮なく頂戴する。菩提樹の先の尖塔を眺めながら一気に飲み干し、先の僧侶に返そうとした。

 

 すると、その若い僧はiPhoneで仲間の僧侶とともに記念撮影に興じていた。式典の真っ只中だ。いいのだろうか。心配すると、笑いながらこう返した。

「写真を撮ってはいけないと経典には書いていない」

 

 確かにそうだ。確かに2500年前にiPhoneは存在していないし、シッダールダが写真を禁止したという話も聞いたことがない。

 

 招聘された僧のひとり京都仏教会の長澤香静事務局長によれば、同じ理屈でタバコもそうだという。

「お酒は基本的に御法度ですが、仏僧たちがタバコを吸っているのは、当時タバコがこの世に存在していなかったからです」。

 

 自主規制とコンプライアンスと常識と横並び意識……、がんじがらめの現代日本と比べて、なんといういいかげんさか。

 仏教の自由と寛容はインド発祥ゆえのものなのかもしれない。4本目の菩提樹の下で羨ましく想うのだった。

 

(上杉 隆/文と写真)