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福島原発〜汚染水大量被ばく事故を再確認する〜(木野 龍逸)

2013年2月7日付けの朝日新聞は、東電が国会事故調に対して虚偽説明をし、委員による福島第一原発の調査を断念させていたことを報じた。国会は12日に東電の廣瀬直己社長を参考人として招致し、虚偽説明の経緯を質したが、廣瀬社長は事故調に説明をした、当時の企画部部長が勘違いをしたためだと述べ、組織的関与を否定した。

東電、国会事故調にウソ 「原発内真っ暗」→調査断念

http://www.asahi.com/special/news/articles/TKY201302060574.html

この問題が続く中、東電は15日に、2012年11月30日に福島第一原発1号機の原子炉建屋内部で、非常用復水器周辺の配管の調査をしていたことを明らかにした。東電会見で、すでに公開している原子炉建屋の調査以外に、中に入ったことはあるのかと質問されたことで、これまでの作業を洗い直してわかったのだという。東電の尾野昌之原子力・立地本部長代理は、現場との連携が悪く、情報が上がっていなかったと説明した。

新映像公開 非常用復水器破損を否定

http://mainichi.jp/select/news/20130216k0000m040095000c.html

尾野氏の説明が真実かどうかは、現時点で明らかではない。しかし東電はこれまでにも、現場の情報を正しく伝えてこなかった実績がある。2012年11月に明らかになったのは、事故直後、汚染水に足を浸けた作業員が大量被曝した事故に関するものだった。

2011年3月24日午後4時、東電本店1階の会見室で始まった定例の記者会見で東電の武藤栄副社長(当時)は、同日昼過ぎに3人の作業員が3号機タービン建屋の地下1階で、173〜180.07ミリシーベルトという大量の被曝をしたと発表した。大量被ばくに気づいたのは、作業を終えて免震重要棟に戻った後だったと、武藤副社長は説明した。しかし詳しい状況について聞かれると「確認中」と繰り返した。3人は福島県立医大から千葉県の放射線医学総合研究所(放医研)に搬送された。

福島原発3号機で作業員3人被曝 2人が病院へ搬送

http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103240302.html

それから何度か会見を繰り返す中で、現場の状況が判明していった。東電の説明によれば、現場の空間線量は毎時200ミリシーベルトで、水面は毎時400ミリシーベルトに達していた。3人はこの水に足を入れて、40〜50分間の作業をしていたという。

25日午前3時半過ぎからの会見で東電の担当課長は、3人は警報器付き個人線量計(APD)を携帯していて、作業中に鳴っていたものの、そのまま作業を続けたことを明らかにした。APDが鳴ったにもかかわらず退避しなかった理由を聞かれると、被曝した作業員から聞き取り調査をしたと前置きして、次のように説明した。

「タービン建屋という(通常はあまり線量率の高いエリアではない)場所だったのと、前日に行ったときの環境からそれほどでもないという認識で、鳴った認識はあったが『故障したのではとも思った』という考えもあったと話していた」

また、水に入って作業したのは元請け2人と下請け1人の3人だったと説明していた。ただし、同じ現場には6人がいて、水に入らなかった作業員3人のうちひとりは20ミリシーベルトを超える被曝をしたという説明があった。この被曝事故の経緯は、「検証 福島原発事故・記者会見」(岩波書店)(http://amzn.to/RU78vB)に詳述した。

この被曝事故から1年半が経った2012年11月1日午後1時から、厚労省記者会見場で、当日の作業に関わっていた作業員X氏が、元請けの関電工を労働安全衛生法違反で告発するという会見を行った。

会見でX氏が説明した当時の状況は、東電による従前の説明と重要な部分で異なる内容であり、東電の説明よりも詳細だった。

まずタービン建屋地下の汚染水に入って作業したのは、大量被曝をした3人以外に二次下請けの作業員1人がおり、この作業員は60ミリシーベルト近くの被曝をしたということだった。東電の説明にあった、20ミリシーベルトを超えた作業員というのが、汚染水に入った二次下請けの作業員を指すと思われた。

またX氏ともうひとりの二次下請けの作業員は、関電工の作業班長から地下階に降りるよう指示を受けたが、最初に入った作業班長らのAPDがすぐに鳴ったため、現場が危険だと判断して地下での作業を拒否した。「手すりから下をのぞき込むと、(APDの)アラームがピッピッピと鳴って、(被曝)線量が挙がるのがわかった」と、X氏はいう。

さらにX氏は、東電の柏崎刈羽原発から応援に来ていた作業班が別の作業のために同じ現場に来たが、作業前に地下の線量を計測したところ400ミリシーベルトを超えていたため「撤収!」といって、すぐに引き上げたと証言した。しかしその後もX氏らの作業班は作業を継続した。X氏は「関電工の担当者は、誤作動もあるといって、私達の言うことに聞く耳を持たなかった」と指摘した。

そしてX氏に同行してい弁護団や、福島県いわき市議会の渡辺博之議員らは、X氏は4月上旬に、線量が上限に達して福島第一原発の作業から離れ、しばらく他の原発も回ったが、最終的には切られたことを説明した。その中で渡辺市議は、「こうした使い捨ては事故前からあったが、事故後はさらにひどくなっている。このままでは事故は収まらないし、ひいては働く人だけでなく、私達一般の市民にも影響がある重要な問題だ」と強調した。

この会見の後、午後5時半から始まった東電会見では、朝日新聞の記者や私が、X氏の説明の事実関係を質した。東電の尾野原子力立地本部長代理の説明はあいまいなものだった。

まず現場には別のチームがいて、「(毎時)400ミリシーベルトと高かったという話は聞いている」と説明したが、どこのチームかはわからないと述べた。記者から調べてほしいという要望が出ると、「わかれば確認したいと思うが、いずれにせよだいぶ以前の話になる」と、明確に答えなかった。

さらに被曝事故の状況に関しては、元請けからの聞き取り調査はしているが、直接、現場にいた作業員から話を聞いていなかった。東電が独自に調査をしないのかという質問には「どのようなやり方をするかということもあるが、元請けを通じて状況を確認するというのもひとつの調査方法と思っている」と説明した。

翌日、11月2日の会見で尾野本部長代理はまず、大量被曝した3人以外に、ひとりの作業員が水に入って作業しており、56ミリシーベルトの被曝をしたことを認めた。しかし、厚労省で会見をした作業員の話にあった、APDの警報を無視した形で作業をするように指示を出したのかどうかについては、「まだつかんでいない」と述べた。

11月5日の会見で改めて指示の有無について聞かれると、「どこまで確認ができるかということによるが、内容によって説明できる部分は説明する」と述べるに留まった。12月21日に改めて、X氏が話していた別のチームがどこなのかという調査結果を聞かれた尾野本部長代理は説明を二転三転させた。

−−−調査の結果はどうなったか

「東電のチームかは確認していない。聞き取り結果として、作業が終わった頃に、線量が高いといって帰ったチームがあるということは聞いているということは言った」

−−−報告したのがどこのチームか確認はしないのか

「現時点ではわかっていない」

−−−当日の作業計画があるのではないか。現場に行く計画はなかったのか。

「記録だけから、誰が行ったかを完全に特定するのは難しい。記録はないが現場に行ったというひとがいないかどうかは、現時点で否定しがたいと思っている」

当時は空間線量が非常に高かったが、同時に放射線管理員の人数、装備も不十分だった。放管がきちんとついて作業していたグループは限られていて、だから大量被曝したグループにも放管は同行していなかった。その限られたグループの動きを、司令塔である東電が把握していないというのは、信じがたかった。

この質疑の中で尾野本部長代理は、当日に柏崎刈羽の応援チームから空間線量が400ミリシーベルトだという報告があったと説明した直後、400ミリシーベルトの数値は被曝事故が判明した後で現場確認のために計測してわかったことだと訂正した。訂正後の説明は、現場に別のチームがいて「400ミリシーベルトという数字が高かったという話は聞いている」という、11月1日の会見での説明とも食い違っていた。

あいまいな回答に終始していたため、改めて調査する考えはないかという質問が出たが、尾野本部長代理は、「これ以上、いまの時点で調査するつもりはない」という考えを示した。

2011年3月24日、3号機のタービン建屋で何があったのか、詳細はなにも明らかにはなっていない。それだけでなく、今回明らかになった東電による「秘密」の非常用復水器調査を考えると、福島第一でいま、何が起きているのか、外にいる市民に情報が公開されているとはいいがたい。なぜこのような企業に3兆円を超える税金の投入が決まっているのか、まったく理解できない。

いますぐ情報公開を義務づけるか破綻処理しない限り、私たちは東電や政府の意のままに国税を注ぎ込むしかなくなってしまう。これから数十年間、東電と政府に貢ぎ物をするだけでいいのかどうか、私たち自身が考えなくてはならない。

【ブログ「キノリュウイチのblog 」より】