福島第一原発医療班の元看護師、染森信也氏へのインタビュー(おしどりマコ)
染森信也氏は、2012年1月から12月まで、東京電力の社員として、福島第一原発の医療班で看護師業務についていた。
筆者は、2012年から染森氏と連絡を取っていたが、
染森氏ご自身が、福島第一原発で働いて、感じたこと、考えたことを述べたい、とのことからここに記す。
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「原発事故が起こって、全ての日本国民が等しく背負わなければいけない罪をかぶっているのは、
原発事故後に福島第一原発で働いている作業員なんです。」
こんな言葉からインタビューは始まった。
「被ばくのことばかり取り上げられるが、原発事故後の福島第一原発は被ばく労働という環境だけではない。
本当に過酷な環境になっています。
被ばく防護のために、過酷にならざるを得ない面もありますが。
何重も防護服を着、全面マスクをつけ、手袋、靴カバー、そのうえでの過酷な肉体労働。
それでも、原発作業員は自分から志願したのだから、と言う方もいますね。
それは通常の原発作業ならそうかもしれない。
でも、原発事故後は違うんです。
福島第一原発で働く人は、みな、ボランティア、献身なんです。
危険手当を貰っているというけれど、そうじゃない、
お金ではなくて、覚悟や気持ちや責任感や、それがあるから働いているんです。
みんな、自分が被ばくすることは知っています。
そんなもの、お金で解決することではない。
作業員は被ばくに対して大きく分けて3通りのタイプの考えになりますね。
①一般的に言って、この程度の被ばくは大丈夫だと自分で思い込む。
②一般的に言って、この程度の被ばくは大丈夫ではないけど、自分だけは大丈夫だと思い込む。
③被ばくの影響について、何かあったとしてもしょうがないので、考えないことにする。
何らかの形で、大丈夫だと自分に言い聞かせて働いているんです。
100%どういう状況かわかって働いている作業員などいないでしょう。
毎日3000人がサイトに入っているけれど、どういう状況か本当にわかったら1割も残らない。
生きた人間が原発事故後のサイトに入るとはそういうことなんです。」
では、いったいその作業員の方々に被らせている「罪」とは何か。
「原発を推進してきた人たちの罪。
無関心でいて、原発を黙認してきた人たちの罪。
原発に反対してきたけれど、反対しきれなかった人たちの罪。」
「もちろん自分にも罪はあります。
これは等しく全ての日本国民が背負うべき罪だと思います。
質的に等しく、量的には異なるでしょう。
我々は、世界に、未来の人々に謝罪と贖罪をしなければいけない。」
原発事故で被害をこうむった汚染地域の方々にも罪はある、と染森氏は続ける。
「今回の事故で、原発立地自治体は被害者でもあるけれど、
やはり、誘致した罪もあるのではないか。
元双葉町長の井戸川氏は、事故後、積極的に子供達の避難を呼びかけたり、
双葉町に帰還しないことを宣言したりされたのは評価できるが、
井戸川氏は同時に、原発事故前は双葉町に7,8号機のプルサーマルを誘致しようとしたことの反省を口にするべきではないか。
原発を誘致するということは、一自治体だけの問題ではなく、
汚染が起こればどれだけ近隣を巻き込んでしまうか、そういう問題もあります。」
「もちろん、立地自治体で原発誘致を反対していた方々もいるでしょう。
でも、反対しきれなかった罪は本当に無いのでしょうか?
現在、福島県は県内の原発を廃炉にする決議を出しましたね。
しかし、それだけで本当に廃炉になると思いますか?
東京電力や全国の電力会社、企業の思惑、日本政府の国策、
それが福島県内の原発を本当に廃炉にすると思いますか?
5,6号機は、福島第二原発は本当に再稼働しないと思いますか?
これ以上詳しくは言えませんが、私は、『廃炉にすると決議を出した』だけで、
それで自分たちの役目が済んだ、と思っているように感じます。
反対、と口にして満足しているだけでは、廃炉にはならないでしょうね。
だから、反対しきれなかった罪ということを考えるのです。」
「しかし、18歳以下の自分に意思決定権がない子供達は、罪は無いです。
私は、18歳以下の意思決定権が無い子供達は、
浜通りや中通り、他県でも汚染地域からはすぐに避難させるべきだとも思っています。
そうでない大人は、ある程度自由に情報がとれ、そして自分で判断できるのだから、
行政や報道のせいにせずに、移住するか住み続けるか決めるのは自分の責任だと思います。」
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染森氏のバックボーンも記しておこう。
彼は20歳のときに、仕事について5日目の荷役業務で労災事故に遭う。
労災を嫌う企業に、救急車ではなく自家用車で病院に運ばれ、
そして事実とは違う理由を医師に伝えるように言われる。
それを理不尽だと思う余裕は当時の染森氏には無かったという。
大阪の南港で働いていた彼は、自家用車が港のほうに行けば自分が消されるのではないか、
その場合、仕事について5日目なので、自分がこの職場で働いていた、という情報はどこかに残って足跡をたどってもらえるだろうか、とそういうことばかり考えながら痛みと闘っていたそうだ。
なので、車が病院に着いたときは、ホッとしたが、
本来の事故原因と全く違う原因を話し、
明らかに怪我の様相が違うと医師が診断することを恐れていたが、
そういうこともなく、通院できるケガであったが、入院を勧める病院に不信感も抱いたそうだ。
この自分の労災事故がきっかけで、染森氏は
「働く人の命と健康を守るということ」について深く考えるようになり、
ライフワークになったという。
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染森氏のキャリアはそこから、訓練校に通ったりしながら、様々な職業資格をとる。
「日本で職業資格をとっていくということは、安全管理について学んでいくことなのです。」
それが高じて、染森氏は職業訓練校で教える立場、指導員になる。
「安全管理を学んでいくにつれて、
そこから衛生管理について深めたいと思うようにもなりました。」
その後、看護学校に入り、看護師の資格を取得する。
そこから、民間病院での看護師として働くようになるのだ。
「福島第一原発の看護師となるのは、非常に迷いました。
直前まで、自分が引き受けないための口実が何か無いか探しました。
でも、無かった。行くしか無い、現場を見るしかない、と思った。」
その後染森氏は、人体に対する放射線の影響についても勉強し、
2012年1月にはエックス線作業主任者免許、ガンマ線透過写真撮影作業主任者免許を取得し、
2012年10月には第一種放射線取扱主任者免許試験に合格した。
そのうえで、染森氏の前述の言葉、
「何らかの形で、大丈夫だと自分に言い聞かせて働いているんです。
100%どういう状況かわかって働いている作業員などいないでしょう。
毎日3000人がサイトに入っているけれど、どういう状況か本当にわかったら1割も残らない。
生きた人間が原発事故後のサイトに入るとはそういうこと」
「18歳以下の意思決定権が無い子供達は、浜通りや中通り、他県でも汚染地域からはすぐに避難させるべき」
これらを読み返すと、重みが違ってくる。
染森氏は原発事故以前にチェルノブイリ事故やスリーマイル事故にもとても興味を持ち、
自分で調べていたという。
「日本では情報が無い、無いというけれど、本当にそうでしょうか?
もっと情報を制限されている国と違って、
そりゃテレビや新聞などのマスコミ報道では出ないけれど、
自分で調べる気になれば、比較的自由にどの情報にもアクセスできる。
チェルノブイリ事故もスリーマイル事故も、ある程度知ることはできるでしょう。
日本で、原発事故が起こったんです。
日本は、広島と長崎に原子力爆弾が落ち、そこで、いかに被害が過小評価されたかも
知っているはずです。
そして、過去、海外でも原発事故があり、
その情報はある程度自分で調べればわかるんです。
ここからは、それぞれの責任だと思うんです。」
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染森氏に、福島第一原発の医療班のことを聞こう。
「私は2012年1月から赴任しました。
1年契約の雇用です。
それまでボランティアの医師と看護師の方々と連携して回していたようなのですが、
東京電力が常駐看護師を採用したほうが望ましい、ということで募集がありました。
福島第二原発の健康管理室の募集は女性でも可だったのですが、
福島第一原発の救急医療室は、サイト内のほかの部署で勤務していた東電社員の女性を被ばくさせてしまったことがあり、男性のみの募集でした。
2012年1月から赴任し、3か月はJヴィレッジの診療所でした。
そこに東電病院の女性看護師が交代で出張してきていて、当初は2人いましたが、
同採用された私たち男性看護師にシフトしていきました。
3月にJヴィレッジ診療所専属の常勤の女性看護師1名が採用されて、4月からは東電病院の看護師はゼロになりましたね。
1月に私と同採用の看護師が1人、3月にもう2人採用され、計4人の体制でした。
4月から、5,6号機脇の救急医療室を私以外の3人でローテーションし、
私は1人で免震重要棟の医療班のサポートをしていました。
サイト内に傷病者が出たときにすぐに救急搬送する体制をとるためです。
免震重要棟に月に10泊し、Jヴィレッジ診療所に月に数回日中勤務がありました。
その場合はJヴィレッジの外来診療補助が業務です。
そのときはJヴィレッジのセンター棟に泊まっていました。」
作業員がJヴィレッジ診療所を自由に使えない、下請け会社によっては差別がある、という話が出ていたことを聞いてみた。
「う~ん、そういうことは診療所にいるとわかりませんね。
来てはいけないから来ないのか、必要が無いから来ないのか、わかりようがないんですよ。
外部では、確かにそういう話が出ていましたね、
しかし、自分の上司はそういうことが無いように、
元々とても注意をしていた人でした。
その後も、受診抑制をしたくないということで、
カルテの中に企業名を入れることの廃止を決めました。
患者の住所と電話番号しか書かないことになった。
でも、私は企業名は必要な情報ではないか、と話したんですけどね。
どういう企業がどういう病気、ケガが多いか、
どういうリスクがあるのか当たりをつけることは必要なことではないかと考えたのです。
ドクターは入れ替わるので、そのような情報は必要だと思いました。」
しかし、住所と電話番号のみの記載となるが、ここでまた問題が出てきた。
どこの住所をカルテに書くのか?
雇用主が用意してある旅館の住所か?
仮設住宅、借り上げ住宅の住所か?
しかしそれは覚えていない場合が多く、実際は運転免許証の住所を記載する場合が最も多かったという。
「今も、双葉町、大熊町が住所の方が、多く福島第一原発で働かれています。
家族は会津などに避難していて、自分だけ働きにきている。
しかし、近隣には福島第一原発で作業していることは言えない、言っていない。
そして、カルテに書かないこと、
彼らが抱えている人生に私たち看護師は間接的に触れるんです。
津波以降どんなストレスがあったか、賠償問題についてどんなスタンスか、
長年原発にかかわってきただけに持っている責任感、覚悟。
これは看護師の守秘義務で言えませんが、
福島第一原発の作業員が背負わされているものは、重すぎやしないでしょうか。
現在、曲りなりにも、原発が小康状態を保っているのは
(冷温停止状態というおかしな名前がついていますが)
原発事故以降、作業員たちが献身的に人生や命を削ったからこそもたらされたもので、
今現在も、彼らは削り続けているんです。
そのことを、あまりにも忘れてはいないでしょうか。」
染森氏が福島第一原発の医療班で勤務している間に、
いわゆる「原発事故子ども・被災者支援法」が制定された。(2012年6月27日)
『東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律』
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H24/H24HO048.html
これはチェルノブイリ原発事故後の住民の支援のために制定された、いわゆる「チェルノブイリ法」を参考にして、超党派で作られた議員立法である。
『チェルノブイリ原発事故被災者の状況とその社会的保護に関するウクライナ国法(1991年)(概要及び本文)』
http://www.shugiin.go.jp/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/cherno16.pdf/$File/cherno16.pdf
染森氏は関心を持って、チェルノブイリ法を参考とする「子ども・被災者支援法」が制定されるのをみていたという。
実際、自分で集会に足を運んだり、自主避難した住民が東京電力に行き、補償の交渉を行った際も同行し、発言もしたとのことだ。
「自主避難された方々は遺伝子を守っているのだ。
病気が出てから、因果関係が証明されてから、そこから償うより、
今、自主的に避難してくださった方々を支援した方が、
結果的に、企業としてラクなので、東京電力はぜひ補償するべきだ」
こういう内容のことを実名で発言をされたという。
しかし、制定された「子ども・被災者支援法」の内容を見てがっかりしたとのこと。
「チェルノブイリ法では、リグビダートル(原発作業員)も盛り込まれていたんです。
でも、日本の子ども・被災者支援法は、原発作業員については何も言及されていない。
チェルノブイリ法を参考にしたはずなのに、なぜ、外れたのでしょう。
福島第一の原発作業員も、原発事故の被災者です。
また、原発作業員が、虐げられた、と感じました。」
確かに、チェルノブイリ法では
「チェルノブイリ原発事故による被災者は、以下に該当する者とする。
・チェルノブイリ原発事故のリクビダートル
事故時とその後の処理に直接従事した市民。
・チェルノブイリ原発事故により被害を受けた者
チェルノブイリ原発事故の結果、放射能被ばくの影響を受けた、子どもを含めた市民。」
となっている。
原発作業員も、「被災者の市民」と明確に記してあり、支援の対象なのだ。
染森氏の言うとおり、原発事故後の作業員、彼らも被災した市民である。
原発の歪みを一手に背負わされている作業員、彼らの事故後の作業員の支援は、
日本ではどうなるのだろうか。
染森氏は、原発事故以降、自分も含めての原発についての罪のこと、
そして原発作業員のことなどを考え続けていた。
2011年は大熊町の町長選にも興味を持ったという。
「原発の立地自治体として、大熊町の方々はどう考えておられるのだろうか、と思いました。
私は、贖罪も必要だと思った。
廃棄物を、自分の町に、と言い出す人はいるのだろうか?
原発事故前の福島第一原発を考えてみてください。
確かに、東京電力の持ち物で、東京の電力を作っていましたが、
しかし、交付金など恩恵はあった。
そして、福島第一原発で出た廃棄物は、六ヶ所村に送っていたのです。
もちろん、六ヶ所にも恩恵はあるでしょう。
しかし、そういったことをきちんと考えるべきではないでしょうか。
廃棄物はどこにいくのか、どう処理するのか。
2011年10月、大熊町の町長選の説明会に私は行きました。
町長選に出て、大熊町に処分場を作る、と問題提起しようと思った。
原発事故が起こり、その原発立地自治体の首長選で
原発推進派しか立候補せず、無投票で再選されるのだけは避けたかったからです。
しかし、同じことを町民が考えて出馬されるのがベストだと思っていた。
すると、木幡仁さんという元町議の方が
処分場を大熊町に、ということも掲げて出馬された。
その方とじっくりお話をして、考え方は等しく同じではないが、
処分場を大熊町にということや、無投票の再選は避けられることを考え、
大熊町の町長選は立候補しなかったんです。
そして、その後、福島第一原発の看護師になりました。」
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染森氏は現在、もう一つの原発立地自治体、双葉町の町長選も関心を持ってみつめている。
彼が考えている「双葉町良心宣言プロジェクト」というものも見せられた。
最後に、ここに全文掲げる。
(筆者は「双葉町を東京都の飛び地にする」という部分に大変興味を持った。)


とても重いインタビューであった。
染森氏の考えをできるだけ正確に、忠実に伝えることができるように努力した。
賛否両論あると思うが、一度、ぜひ、考えてみてほしい内容である。
【NLオリジナル】





