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2017年04月24日
佐野稔の4回転トーク 16~17シーズン Vol.⑲ 2017世界国別対抗戦を振り返って ~ パート② & 浅田真央引退を受けて
●今シーズンの伸び率は、羽生結弦の上を行った宇野昌磨
 ショート・プログラム(SP)1位、フリー・スケーティング(FS)2位と、宇野昌磨がひとりで「23ポイント」を獲得。SP、FSの合計得点でも世界選手権に続いて300点に到達して、284.00点だった羽生結弦を上回り、宇野が初めての“羽生超え”を果たしました。

 当の宇野本人は自分を戒めるかのように「特になにも思わない」と話していましたが、今回羽生の得点を上回ったことで、彼のマイナスになることは何もないでしょう。独特の試合形式でいつもと状況が違ったとはいえ、3週間前の世界選手権の上位6選手のうち5人が出場したレベルの高い大会で、しっかりと“トップに立った”、そして“羽生に勝った”事実は、宇野のなかの残るハズです。

 今シーズンの宇野の成長度合いには、眼を見張らされるものがありました。この1シーズンだけを考えれば、成長の伸び率は羽生以上のモノがありました。ソチ五輪の男子シングルに出場した3選手のうち、髙橋大輔と町田樹はすでに引退。それでもこの3年の間に、羽生と並ぶ2大エースと呼べるレベルにまで、宇野昌磨が急成長してくれました。平昌(ピョンチャン)五輪が控えた来シーズンのフィギュア界も、ふたりが熱くしてくれそうです。


●このオフ・シーズンの動向から、目が離せない
 4回転ループがいきなり1回転になり、その失敗を引きずったかのように4回転サルコゥでも着氷で手を付くミス。本人が「SPに苦手意識が完全にでき始めてしまっている」と話していたように、結局SPがハマらないまま、羽生結弦はシーズンを終えることになりました。新たに習得した4回転ループを冒頭に持ってくるなど、プログラムの難易度を高めた上でのことですが、来シーズンに向けて大きな修正点を積み残しました。

 左足甲のケガに始まり、4回転サルコゥからのコンビネーションにミスが続いたり、インフルエンザによる全日本選手権欠場があったりと、紆余曲折を経たシーズンの最後のフリー・スケーティング(FS)で、5本の4回転ジャンプに挑戦。そのうち3本を史上初めて演技後半に跳んで成功させてみせる。いまのフィギュア界の話題の中心には、常に羽生がいます。

 おそらく来シーズンは世界のトップ・オブ・トップの選手たちにとって、FSで4回転5本が特別なことではなくなってくるのでしょう。技術の向上はもちろんのこと、体力勝負にもなってきます。すでに4種類の4回転ジャンプを自分のモノにしているネイサン・チェン(アメリカ)やボーヤン・ジン(中国)は、演技構成面に重点を置いてプログラムを見直してくるはずです。それに対抗するため、ルッツに挑戦して4回転の種類を増やすのがいいのか。それとも、いま持っている武器に磨きをかけるべきなのか。戦略面も問われます。

フィギュア選手のオフは、それほど長くはありません。8月頃には早くも小規模の国際大会がスタートしていきます。プロ野球ではシーズンが終わると、ファンが温かなストーヴを囲んで、シーズンを振り返ったり翌シーズンの展望を語り合ったりすることから、オフ・シーズンのことを「ストーヴ・リーグ」と呼ぶそうですが、フィギュア界だと、さしずめ「クーラー・リーグ」でしょうか(笑)。このオフの間に、それぞれの陣営がどんな取り組みに着手していくのか。世界各国から伝わってくるニュースから目が離せません。


●“チャンピオンの責務”をまっとうした浅田真央
 最後に、先ごろ引退を発表した浅田真央について、少し話をさせてください。実際に演技をする彼女の姿を私が初めて観たのは、02年の全日本選手権でした。当時小学校6年生だった浅田は、この大会に特例で出場。回転は足りなかったのですが、3回転-3回転-3回転の連続ジャンプを跳んでいた姿に「楽しそうによく跳ぶ子だなぁ」といった印象が残りました。まだノービスBの2分30秒の構成にしか慣れておらず、それを終えると、リンク上で何をして良いのか分からないといった様子で、所在なげにウロウロしていたものです

ジュニア時代から成功させていたトリプル・アクセルは、浅田真央の代名詞になりました。もちろん、そこには彼女の憧れであった伊藤みどり、そして山田満知子コーチの存在があります。山田門下生の先輩たちの姿を、間近で見ていた彼女が継承していったのです。とはいえ、私に言わせれば、伊藤みどりは「宇宙人」(笑)。あの滞空時間の長さは誰にも真似ができない。伊藤みどりクラスの傑出した運動能力を、浅田が持ち合わせていたとは思えません。それでいて、あれだけのトリプル・アクセルを可能にしていたのは、「周囲からストップがかかるまで止めない」と言われた豊富な練習量だったのでしょう。そういう意味で、彼女は努力型のスケーターだったと言えます。

 それでいて浅田には、努力だけでは身に付けようのない天性のスター性、カリスマ性がありました。もちろん本人にしか分からない悩みや苦しみ、悲しみはたくさんあったのだと思います。それでも彼女は、そういった困難を乗り越えて、いつも笑顔を絶やさず、人々の前に立ち続けました。それは彼女の人間性があってのことです。浅田真央のことを嫌いだと言う人は、おそらくいなかったのではないでしょうか。けっして批判の対象にならない、ひじょうに稀有な存在でした。

 私がこれまでのスケート教室や子どもたちの指導のなか、日本のフィギュア人口が最も増えたと感じたのは、トリノ五輪の前後でした。その背景には日本人初となる荒川静香の金メダル、そして年齢制限をめぐり社会現象と化していた「真央ちゃんフィーバー」がありました。浅田の成長と日本フィギュア界の隆盛は、同じ軌道を描き上昇していきました。彼女は日本のフィギュア人気を盛り上げた最大の功労者です。

 14~15シーズンを休養したあとの、今回の引退に至るまでの2シーズンは浅田にとって、大好きなフィギュアとの別れを決意させ、心と身体をゆるやかに落ち着かせていくのに、どうしても必要な時間だったのでしょう。この2シーズンがあったから、悔いを残さず「やり残したことはない」気持ちになれたのだと思います。そしてこの2シーズンは、彼女の背中を追い掛けた後輩たちにとっても、とても意義深い時間になりました。

 まだ私が若かった頃の話なのですが、「チャンピオンというのは、追い掛けてくる挑戦者たちに乗り越えられるまで、ずっとチャンピオンであり続けなくてはいけない責任があるんだ」と教えられたことがありました。浅田自身はこの2シーズン望むような結果が出せず、何度も辛い思いをしたことでしょう。ですが、後輩たちからすれば、浅田と同じ大会に出て、直接浅田に勝てたことが、これからの競技生活を過ごす上で、どれほどの励みや自信になることでしょうか。あるいは、もし14年の世界選手権で優勝したところで浅田が引退していたら、その後に続く選手たちがどんなに素晴らしい演技をしようと、「だけど、真央ちゃんに較べるとね…」といった観る側の“幻想”に、悩まされていたかもしれません。

これまでに自分が築きあげたスケーターとしての栄華や称賛を、ひとり占めしたまま辞めることもできたのに、浅田はそれをせず、後輩たちに分け与えてから、引退への道に進むことになりました。頂点に立った者の責務を、最後までしっかりと果たしてくれた。歴史に残る素晴らしいチャンピオンでした。長い間、本当にお疲れさまでした。